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日記叙述トリック問題

渋谷駅 | 060506

同窓会で考えた場合にわりと具体的に納得しやすいのが「書いている側からすれば日記には当然書いていないことがあるんだけど、読んでいる側からすれば日記に書かれていることがそのひとのすべてとして映る」という問題(関連→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060419#p1)。これはなんというかミステリにおける叙述トリックに近い現象かと思う。日記が文章であること自体の不如意の性能というか。わかっていても発生しがち。「web 日記者には web 日記に書いてある以外の日常がある」ことについて当然理解しているはずの web 日記者同士の会話上でもそういった錯誤は発生する場合がある。書く側からみた場合日記の主体は「日記された日常」であるが、同時に誰かによって書かれた日記はそれ自体主体として読まれるわけなので、文章以外を想定するというのが意外にむずかしいというか。これには weblog 以降の web 日記文化ではかなり顕在化してきた「記事か日記か、どっちでもあるような」みたいな問題とも絡んで複雑(文章自体が主体として読まれるのは元々自然なことだし、またそうされるべき記事も多い)。べつにその絡みあいをほどくべきだとも思えないので、まあ「こんがらがってるよね」という現状が正しく認識されてあればそれだけでよいという話ではある。