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LOVERS

原題は「十面埋伏」らしい。そっちだとなんかかっこいいな。メロメロ感をそのように表現する方法もあったかみたいな。TV でやってたので見たが、なんか途中で終わっちゃったようなかんじだった。あちこち回収できてない気がする。TV 放映用にカットした部分が多いということかな。というわけで流れや結末についての印象は放棄。あまりそのへんがおもしろい映画ってわけでもないのだろうとの見切りもある。(追記)後半に話の流れが曖昧になるのは、本作に出演する予定だった役者のひとが亡くなってしまい、必要なシーンを撮影できなかったためらしい(→http://blog.goo.ne.jp/xina-shin/e/7870d631266fd3acbbe42a5d18b1858b)。

LOVERS に限らない話だが、西洋チャンバラ映画と比較して中国チャンバラ映画は世界観チャンバラ映画として見るのがむずかしいなという感想はあった。国民性とかも絡んでる気がしなくもないが、そこまで大袈裟な話というよりは、チャンバラ映画の作法の違いなんだろうか。技術面でいえば、西洋チャンバラでは特撮や SFX はウソの絵の迫力増加とリアルっぽさの両面に対して費やされているように見えるけど、中国チャンバラの場合特撮や SFX ウソの絵の迫力と美しさの向上のみにつぎ込んでるかんじ。ロープワークとか見ても、西洋モノのロープワークは重力イカサマにそれっぽさを残しつつ使われているかんじだが、中国ロープワークは、まるで「重力などないほうがいい」とでもいうようにフワフワと人間が飛ぶ。技術を離れてチャンバラ演出を見ると、西洋チャンバラに対して中国チャンバラはシチュエーション要求というか、「これを使ってこう戦え」という要請がすごく強く感じられる。こういう絵でこういうかんじで切り結ばせたいからおまえはこれをこう使う以外の行動を取るなみたいな。チャンバラなんだから主役脇役関係なく全員命懸かってるんだろうに、それぞれがあまり最善手を選んでるように見えないんだよな。さっきのシーンではこういうことができたお前なら、今のこのピンチでもあれを応用してこういうふうな動きだってできるんだろうに、なぜかシーンごとに戦い方が決まっててしかも毎回やりかたが違うんだみたいな。大雑把にはイメージボード至上主義と似たかんじという感想になるけど、どうもイメージボードともまた違う気がする。

「絵のために人物が居りチャンバラがある」という考え方に徹している作品には相応のよさや美しさがあるけど、それは世界観チャンバラ的ではないという話だろうかな。どのみちそれらは作品自体に従属しているわけだから、あまり個々が暴走してしまうとガタガタになるだろうけど、軽んじられてる気がしてしまうのは楽しくないなあ。