最近の読書
北方三国志を読み終わったのでローマ人の物語に戻ってきた。結局北方三国志は、三国志読本も買って読んだ。
- 三国志 一の巻 天狼の星
- 三国志 二の巻 参旗の星
- 三国志 三の巻 玄戈の星
- 三国志 四の巻 列肆の星
- 三国志 五の巻 八魁の星
- 三国志 六の巻 陣車の星
- 三国志 七の巻 諸王の星
- 三国志 八の巻 水府の星
- 三国志 九の巻 軍市の星
- 三国志 十の巻 帝座の星
- 三国志 十一の巻 鬼宿の星
- 三国志 一二の巻 霹靂の星
- 三国志 十三の巻 極北の星
- 三国志読本 北方三国志別巻
ユーラシア大陸の反対側では三国志から 200 年くらい昔にこんな文明的な帝国が存在していたのかと思うと感動する。そういうことではないか。受ける印象に北方謙三氏と塩野七生氏の筆致差の影響がかなりでかい。書かれている内容から浮かび上がる風景の文明度は、漢もローマも風俗の差はあれ程度はそんなには変わらん気もする。社会的成熟度という点ではー、どうかな風土に拠るところが大きいわけなので判断できないな。ローマのインペリアル感は、それはもう塩野氏が格調高く描きまくっているので申し分ないのだろうと思えるが、対する中国のインペリアル感だって相当に高度であったのには違いないのだ、でなきゃ広大な大陸が治まりようがない、北方氏はあんまそのへんのことについては熱心に描いてないけど。
「見てきたような嘘をつく」という小説家の職分に忠実な北方氏の三国志世界は、それを前提として語らないため黙っていれば非常にリアルに感じられるが、ローマ人の物語における塩野氏は「私はこっちが正しいと思うのでこう」というような視点を敢えて強調して書くため、対史実でいえば北方氏の三国志よりもちろん忠実であろうはずの塩野氏のローマ人の物語のほうが、むしろ創作に近くあるかのようにも読めてしまう場合があるのは、むしろその錯覚が錯覚であることを強調するための塩野氏の技法のひとつなのだろうが(web 的にいえばエチケットペーパーというか)、おもしろい。