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何の影にもドラえもんを見るようになれば立派なドラオタ

板橋区 | 050410

この話題自体には特に感想とかないのだが、記事で引用されていた demi 氏による「ほしのこえ」評、当時読んで「うわーさすが demi 氏の説明はわかりやすくてひどいなあ」とか思っただけだったが、

話は変わってネットで見る限り新海誠のアニメで泣いてる男子は多いのに、女子ウケが非常に悪い。私が見てるようなウェブ女子はみんなけなしてて、そういう作品はきっと面白いんだろうなって思って『ほしのこえ』を見てみました。これがすごくセカチューに似ているのです。

  • 舞台は近過去っぽい地方都市(セカチューは 80 年代、ほしのこえは 2040 年代だけど)
  • ヒロインはスポーツも勉強も万能という完璧な美少女
  • ヒロインは 10 代のうちに死ぬ
  • 主人公はヒロインの死をきっかけに一生懸命勉強してエリートに(セカチューは医者、ほしのこえは軍人)
  • ヒロインは主人公が把握していない人間関係を持たない(ほしのこえにいたってはヒロインの戦友や同性の友人すら出てこない)

考えてみるとこれなんとなくドラえもんにも似てるんだよな。

いや正確にいうとドラえもん単品では不十分で、ネットフォークロアドラえもん最終回」(http://www.geocities.jp/zmiya2001/other/dora1.htm)とつながって十分という話なんだけど。あれの発展妄想形としてはありそうというか。主人公をのび太、ヒロインをドラちゃんに当てはめて。伝統的な読み筋でいえば、のび太にとってのドラえもんというのはつまり少年期の体現ということであって少年はいずれ死んでひとは青年になってゆくわけだけども(少年期が自動的に死ぬ生理が男には明示的にはない関係で、通過儀礼を社会側で区切ってあげないと少年の死を曖昧にしたままおっさん少年が蔓延したりしなかったりみたいな)、べつにそれがドラえもんでなくてクラスの女子とかでもやれちゃうんだなというか。自分の少年期の葬式をうまい具合に挙げ損なった年代に、少年期を葬る儀式の擬似体験ができる二度目のチャンスを提供するメディアとして?いや穿ちすぎかなあ。おれやおい袋がないので第六感弱いんだよなあ。まああれだ、ドラちゃんの最終回をそのまま適用すると、主人公は最終的に偉くなって少年期を再生させてしまうのでそのオチは少年ネタ的にはグロすぎるよな。ちっとも葬ってない。まあ世代一周してれば(過去と現在とで)擬似的な親子として再会できる可能性もあるわけだけど。ある種そうした再会こそが己の少年期に対するパーフェクトなトドメになるわけか。ふうむ、ちょっと指走りすぎたな。

という筋合いから、ちょっと「ジュブナイル」を確認してみたくなった(http://cinema.intercritique.com/comment.cgi?u=2402&mid=7598)。