オタとしての「vs サブカル」雑考 040707
mixi に書き散らかした中途半端ログの、すでに風化したやつを掘り起こして増補修正改訂してみるぜシリーズ。
黒田硫黄氏作品の感想とかを web 日記に書くというのは、無自覚なネットサブカル化を推進する行動なのではないかという危惧が、なくもないという問題。
サブカル漫画は、「サブカルっぽい感想」を読者に抱かせるメディアとして支持されている可能性がなくもないのか。まさに病理!まさにウィルス!
サブカルのひとからすれば「こいつ(おれ)はぬるいのでサブカルではない」とはっきりわかると思うんだけど、内(外)からわかるようじゃだめなんだよな外(内)にわかるようになってないと。
…と書いて気付いたがネットと自己の関係上では、指示するものとしての表裏が逆転してる気がする。ネット上の自己は「自覚的に発信したもの」のみで構成されているわけだから(=「発信しない限りそれはネット上に存在しないのと同じ」)、なにを発信しなにを発信していないかについて、つまり「ネット上での自分がどのようであるか」については、自分自身こそが最も誤解しやすい(と主観的に評価される)存在になるわけか。ノイズが多すぎるから。まあここでいうような「ネット上の自己」などというものは、把握してなんになるのかとかはちょっとあんま意味がなさそうだけど。
- ほかのひとのコメント
黒田硫黄の感想を書いたら、どう説明してもサブカル扱いじゃないのかなー。
ヌンチャク持って歩いてるのに「カンフー使いじゃありません!」ぐらい説得力がない。
とか逆ギレしてみるとか。
あーそれで思い出した。往年のオタっぽい慣用句「ゆーかおのれわ」「すなたわけー」のルーツを探る活動を再開しなければならない。
- ほかのひとのコメント
「成年向け」ってマークみたいな「サブカル向け」というマークを考えてみました。免許ある書店は ABC とか Village Vanguard なんだろうか…。
↑それそれ。で、サブ倫(サブカルチャー倫理規定)をクリアした本はそのマークを入れて出版できるみたいな制度が。または「ファミ通殿堂入り」シール的存在。
- ほかのひとのコメント
サブ倫認定は、作品の中じゃなくて外に認定条件がありそうです。
- 哲学者に言及された
- xx 出版から出版された
とか。
- Village Vanguard で売っている
ってのも認定条件になりそう。
現象としてのサブカルチャーは、やはり、そこにサブカルチャーという概念があると信じているひとたちによって作られ支持されているはず、と考えれば、サブカルさんたちがサブカル作品を「作っている」ともいえるのかなあ。
べつにサブカルに限らないんだけども「サブカル的であるがゆえにサブカルを破壊するようなもの」とかがありうる余地があるかなあというのは興味のあることで、それがあるならサブカルも捨てたもんじゃないのかなあと思う。
というかオタとしてのおれがサブカルという名前に対して抱いている情念の性質は、結局そうした部分に決定されてるのかも。