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希望入りパン菓子

公式にはビジュアルリーディングストーリーとのことであり、ADV というには選択肢がないので、カテゴリはより正確に振るならゲームでなくソフトウェアだが、いまのところソフトウェアカテゴリは設けていないし、強いていえばゲームカテゴリを振っておくのが妥当と思うし、今後に期待したいところでもあるので、「ゲーム」とする。

おもしろかった、が、不満足。不満足分の予測は可能だったし、範疇内だったので、満足ともいえる。順当に次作に期待。

収録されているストーリー三篇は、すべて中里一氏の既刊「歴史のくずかご」に収録されている。荒っぽくいえば、今作はそれらを ADV のシステムに流し込んで、絵と音と声と歌(とムービー)をつけたものという捉え方もできる。よって、これは予行演習だろうと推測した。元の文章が紙面にのっける短編として設計されているため、ソフトウェア上の仕様には必ずしも馴染んでおらず、あまり表現と効果が高いレベルで結実してないなあという印象。三篇とも文章の持っているポテンシャルを十分表現できていない気がするし、またシステム側で可能の表現も、ストーリーに対して最大限活用されているというかんじはしない。本で読んだときは「手のひらからへんな汗が出る」感覚が異様に感じられたのだが、PC 上で眺めてみた今回、へんな汗の量はそれほどでもなかった。

おれが本作にお金を支払った意図の内訳は、

  • 「あなたがたの活動を評価する」代
  • 「とりあえずこれにお金を払うので、次はソフト仕様に最適化した製品を期待する」代

の大きく二つとなる。次はできれば新作が読みたいし、でなければ「小春日和情報」「小春日和計画」だろうか。

そのほか雑感。

  • オートクリック機能があるけどあまり使えない。
    • 台詞にはボイスがついているので読み終わりまで待機がかかるんだけど、ト書き部分のウェイトが十分でないかんじで、最遅モードでもかなり速い。よってオートクリックが使えない(バックログ機能がないことからも)。なんかうまく設定すればだいじょうぶなのかな。
    • ただまあ、「(ほとんど全部が)掛け合い進行によるシナリオ」「フルボイス」「スクリプトレベルでの演技の充実」の三種の神器あったればこそ「すばらしきオートクリック機能による自動進行物語享受の世界」というビジョンが成立するのであり、ふつうの小説形式のこういったお話では、(いっそギャロゲー的と言ってしまうが)そうした文化とは前提が違い、オートクリック機能はあまり活用できなくとも問題ないともいえる。
    • そうはいっても、わりと茫洋とした気分で眺めてみたいこうしたお話の進行に従って、マウスをカチカチやるため右手人差し指への伝達線をつなぎっぱなしにしとかないといけないというのはやはり引っ掛かる。次回はボイスなしメッセージのウェイトも調整してあっていただきたい気がする。または、ト書きも朗読。きついか。でもだからといって掛け合いのみで進行するお話などは本質から外れる気がするので、エロゲー的な妥当解はこういう場合しあわせを提供しないだろう。妄想するにも悩ましいな。
  • このソフトの様式を発展させていった最終形は FFD ではないだろうか?
    • だが FFD は、それ自体システムとして完成されているように見えて、ポテンシャルを発揮するためには「一定以上のクオリティ」の絵を「量産できる」グラフィッカ(≒大槍葦人氏のようなひと)の確保が必須となるため、まったく汎用的でない、非常に活用機会の限定されるシステムともいえるだろう。スクリプト作業も高度化するが、そんなのは前提が特殊すぎることに比べればむしろ些細な問題に過ぎない。
    • まあ FFD でないにせよ、ビジュアルリーディングストーリーのための最適仕様は模索していく必要がありそう。
  • エンディングがムービーで、クオリティは必ずしも高くないのだが、なかなか新鮮でおもしろかった。おれなどの場合 PC で ADV 的ソフトでムービーっていうと、どうしてもエロゲーとかにあるようなセオリー(静止画 MAD ムービー的ともいう)に頭がいってしまうのだが、あれとはまったく違った筋合いから出てくる演出というか趣向で(むしろ忘れちゃいけないプリミティブってかんじの)、なんというか安心した。よかった、ふつうのおもしろ発想だ、という
  • ボイス
    • 合ってないとは思わないが、なんとなくおれは漠然と「百合というのは喋らないものなんだ」と思っていたので意外というか新鮮だった。百合は紙(無音)メディアでこそ真価を発揮する、してきた、という観念がおれを縛っているのかもしれない。音は鳴るかもしれないし、音楽はあるかもしれないが、そこに声があっても、それだけは空気振動ではなく脳振動で伝播するのだろうという漠然とした勘。けど単にこれはおれが世間から立ち遅れているだけなんだろう。「マリア様がみてる」だってアニメ化した。ていうかマリみてを言い出すならアニメでも百合は(以下略)、となるがまあ、やはりおれにとって声と百合はふしぎな関係なのだった。うーむ、なんというんだ、声がつくことで恐怖感が減るかんじ。いや恐怖ではないんだけど。安心する?かんじかなあ。安心するってことは、不安が減る。そのぶんへんな汗が出なくなるのかもしれない。ちがうかもしれない。いずれにせよ時代は先へ進んでいき、表現はメディアを乗り継いでいくし、漫画化や映像化やアニメ化、ボイスつきもまた必然なのだろう、大衆化でなくいずれ先鋭化のためにこそそれが必要とされるようになるのだとしたら、おれの百合観はいずれ適当なタイミングで上書きされなければならないだろう。
  • やはり、お話が気になったひとには同人誌のほうも読んでみることをおすすめしたい(http://kaoriha.org/sales/kuzukago.htm)。