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ニーツオルグhttp://www.neats.org/)の 02 年 5 月前半のログ(http://www.neats.org/log/2002_05_a.html)の「どこに出しても恥ずかしい情報 #5」で紹介されていた日記才人のアクセスランキング(http://www.nikki-site.com/htmls/ranking/acctoday.html)というのを見たんだけど、今日の時点でも十分エロ広告みたいな内容でおもしろかった。

おれはおれをオタだと思っているからおれが日記を書けばオタっぽい文章の集積になっていくのが自然だと考えているので、こういった考え方を適用するならこのランキングに載っているエロっぽい日記を書いているひとはたぶん自分のことをエロい人間だと思っていてそういう自分が書く日記だったらエロい日記になっていくのが自然だと考えているのかなあと思った。

もしそうならたぶん、オタっぽい日記を書くおれ自身がだんだんオタでなくなっていくことをなんとなーく漠然と怖れるように、エロっぽい日記を書いているひとは自分がエロくなくなっていくことをなんとなーく漠然と怖れるのかなと思った。どっちにせよ死ぬんだし死んでもなるようにはなるんだろうっていう諦観みたいなものはありつつもやっぱり死ぬのが怖いように、どっちにせよ情熱は妥協に勝てんのだしなるようにはなっていくんだろうけど常態がいまのままでなくなっていくのだなっていうのはやっぱり怖いっていうか、不安だ。おれはたとえ発情することがなくなっても発情したいと願うだろう。だから発情することのできる現在でも、やがて来る発情できない未来を怖れて、自分を発情させるべくオタであることに自分を縛り付けようとするだろう。

べつにいまそれは必要ないんだけど、それによってもおれの精神は安定されているんじゃないかな。そして多分発情できなくなったときにはもう何をやっても無駄だ。日記を書くということは、ただそれだけの意味にはなりえないものだと思う。