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最近の読書 - 北方三国志再読

七巻途中。烏林が赤壁になった。北方三国志最大のエロゲー主人公格であるところの馬超が登場し、また北方三国志最後の主人公・諸葛亮孔明が登場し、あともちろん周瑜がキャラ造詣を深め、孫権が思ったほどに伸びしろのないキャラクタとして固まりつつある頃合でもあった。今回のおれは袁紹中心に序盤を読んでいて、張衛が出れば当然張衛にひきずられるので、官渡の余熱でだいぶ放心しつつ読んだと思う。赤壁はなんといっても周瑜が勝ち、劉備が勝つエピソードなのだが、曹操が負けるエピソードして読むほうが、ラノベとしての北方三国志についていえばもえもえだ。なんといっても許褚×曹操曹操×許褚かというカップリング妄想が熱い。三国志演義では、曹操の敗走を関羽が敢えて見逃すというエピソードになっているそうだが、一応正史準拠の北方三国志ではここで曹操関羽の絡みはない。そして、敗戦処理が一段落したあとにくる、曹操と石岐との別れのシーンがまた良い。許褚に劣らぬやおいシーンでもあると思う。この場面に差し掛かったところでちょうどビールの缶を開け、飲みながら読み、読みながら飲み、なにか感じるものがあってまた繰り返し、もう一回読んでから残りのビールを飲み干して、本を閉じてしばらく煙草を吸った。三国志読書中ということは、もちろん夜中、路上、街灯の下でのことだ。なんかちょうどいいタイミングで感傷がみなぎったというかんじかなー。数ある名シーンのひとつでしかないんだけど、今回がいちばんよく読めた気がする。

  • 「感謝はしてくれた。しかし、石岐。おまえは心の底では私を好きではなかったな」
    「はい」
    「私は、信じられようとは思った。好きになられようとは思わなかった」
    「よろしいのでしょう、それで。丞相の生き方がそうだと、私にはよくわかっておりました」
     さらば。石岐の眼が、そう言っていた。曹操は、かすかに頷いた。
    「昔のように、私にわからぬように消えてくれぬか。おまえが別れにきたのは、夢だと思いたい」
     石岐が頭を下げた。
     曹操は、束の間眼を閉じた。再び眼を開いた時、石岐の姿は消えていた。

北方水滸伝に、たしか「男の別れだな」という台詞があった。誰のどういう状況での台詞だったかは覚えていない。曹操と石岐の別れは、そこで言われていたような意味での別れではない。しかしこういう別れもある。水滸伝では、たぶんこういうシーンは描けない。もっと単純か、または深い交錯があるはずだ。が、三国志では無理なくこういう心象が描かれうる。技法の使い分けということだろうか。曹操の元には許褚がおり、石岐が居た。誰も生き残らない。それを七巻中盤の時点で確かめておくイベントだったと思う。

iPhone 関連

  • おれの場合手がデカいので EM ONE 片手持ちで快適にブラウズできるってのがあるかな。普通は iPhone サイズが最適か。やはり EM ONE は 4.1 インチ 480x800pix の大画面タッチパネルが魅力!でもせっかくのビデオアクセラレーションはワンセグ(買って一度も起動してない)視聴でしか使えてない現状!画面でかいのにムービー再生ハードとしては弱いんだよなー。まあ動画なんざ電源確保できてて且つよほどひまなときくらいしか見ないとわかってるのでアレだけど。
  • iPhone でテキスト入力けっこういけるよ!とか(おれの EM ONE 使用量くらいの勢いで)やりこんでたら指紋消えそう。スクリーンをこすりまくるのはあんまよくない。EM ONE のキータッチも別に好きではないというか、押すとカチってなるのはいいんだけど、ちょっとクリック感きついんだよなー。もう少し弱くていい。使い込んでるのである程度(ヘタって)弱くなってきたような気もするけど。
  • iPhone で連想するのは、どっちかっていうと Win vs Mac みたいなアングルじゃなくてアレかなー。舶来の新しいイノベーションがッ!!というとき「それさるさる日記でできるよ」よ水を差すブログ論争。「BUTCH 抜きでは日本における iPhone 草創期を語れない」とかそういう。
  • まあブログ論争に喩えた場合、結局規格として標準化するか否かという話に落ちてきて、かつブログは受け容れられていったわけだから、「モバイルガジェットのメジャーな形式として iPhone 型が主流を占める」というような未来を肯定する部分もある。ただまあブログは「多様な世界観を連結するために必要な規格」という性格だったと思うけど、iPhone は「ひとつの世界観に多様性を内包するための独自規格」みたいな性格を強く持ってるかんじなので、単純比較はできない。
  • ところで MovaTwitter がフォントサイズ的にも iPhone 対応してた。文字でかくて見やすいけど、そのぶんページ縦幅が増えて見渡すストローク数は増加。というか MovaTwitter は iPhone 対応としてログの表示件数を 50 件くらいに増やしてほしい。いやこれ iPhone 関係ないか。
    • 一ページの表示件数て、follow 数×チェック間隔の平均が何件以下に収まるか、みたいなグラフを睨みながら設定するような部分なんだろうし(リクエスト回数増えるか無駄転送量増えるかみたいな?)、そういうことするくらいなら「とりあえず不満出なさそうな最小件数」で安定なのかもしれないな。

最近のインターネット

  • インターネットみてると、ハーレーダビッドソンマルボロマンって、もしかして寅さんくらい有名な映画なんだろうかと錯覚する。
  • ネットの自己啓発界隈でたまにみる「〇〇さんのこの発言に感動!」みたいなの、その内容が「えー、この程度の小理屈なら学生とかにでも言えない?」みたいなかんじだった場合「属人性なんだろうなー」or「リテラシ低いんだろうなー」の二択になってしまうので、読んでてネットやさぐれ度が上る。
  • くだらないものを摂取し続けることによって、人間はくだらなくなっていくのだから、ダメだなーと思ったものは積極的に目に入れないようにしていかないことには、腐海の毒に内蔵をやられてしまうよな、とは思う。根性ないので森の人のようにはなれんし。
  • とはいえ変革はいつもダメなものの迷彩の中から出発するから、ダメそうな方角に注意を払っていなければ、いずれ来る時代の波に対応できず取り残されるわけだ。ある程度スカを引くことを恐れないことが長生きの秘訣という。しかし問題なのは、歳食ってセンスが悪くなると、ドブ底さらってても当たりなんか全然引けなくなっていくことだよな。
  • 時代の波を見極めるためにドブ板監視を続けているのに、肝心の波には気付けずに、ただドブ板の瘴気にあてられて疲弊するだけ、とかいう状況に陥ると目も当てられない。「ほどほどにやれ」は最強すぎて参考にならなさすぎるしなー。
  • そういやおれの場合「気がついたらぼくたちは、インターネット関係の集まりに行くとだいたいどこでも二割程度以上がメンヘルという世界に生きていた」と気付いたのは 2002 年あたりからで、たぶん「ネット関係なくごく普通に生活圏にメンヘルなひとが居る」になったのはこの 2,3 年かな。でもこれ、OFF 会の話にせよ生活圏の話にせよ、東京以降の話だから、地方だと体感がズレただろうなーと思う。あと社会人以降にしか実感してないので、たとえば学校で「1 クラスに 5 人くらいはメンヘルが居る」みたいな状態になっていくとすれば、その状況の空気感は想像できない。
  • わりとよくいわれることなのだが、近年オタ界隈でメガネ女子キャラの人気は低迷して回復の見込みがない。いま「人気の高いメガネ」は一部女子受けを狙うメガネ男キャラくらいじゃないのか(もともとメガネっ子も「一部男ファン受けを狙った」賑やかしの一要素だった)。そういう逆風の中では、「電脳コイル」はよくやったほうだと思っている。