matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

ゲームにおける芝居のテンポ

ゲームとアニメのアフレコの違いは「アニメは基本的に同時に録る」「ゲームは基本的にバラバラに録る」で、だからゲームで別録りなんだろうにやたら掛け合いがうまくいってるときは「職人技だなー」と思っている(「自分の台詞だけ順番に読んでいく作業的な収録でも、会話相手が居るものとして軽妙に喋ってみせる(しかも相手役の演技を想定して調子を変化させる)声優の職人技」と、「それらをうまく繋いで「全員がその場でリアルタイムに喋っている」かのようなシーンを再構成してみせるスクリプタの職人技」のコラボか?)。ボイスファイルを台詞単位で切って間をスクリプト側で制御する様式だから、どうしょうもないんだけど、間はマイナスのウェイト使えば詰めることもブレンドすることも可能よな(ADV とかなら、声を混ぜる場合も「混ざってるファイル」を作っとけばミキシングする仕様なんか要らないので、大概はそうやってんだろうけど、3D かつ 5.1ch 以上なゲームでデモ中もアングル固定じゃないシステムの場合、話者の位置関係がプレイヤの任意で変化したりとかするわけなので、かなり面倒なことになる)。というような拡張は、結局モーションキャプチャを手打ちで補正する思想と一緒で、生の呼吸そのものを活かす方向じゃないんだよな。最終的な間を作るのは役者でなくスクリプタ、その自由度を設定するのはエンジンの仕様を決めるプログラマやディレクタという。で、その自由度がいまのところ十分なものではなく、だからゲームにおいて「テンポのよい芝居」というのは現状なかなか成立しない。脚本(台詞)や単発喋り芸に頼ってる状態。芝居のレベルでいまどきのアニメや漫画に対抗するには、たぶんオートクリック 2.0 的な仕様が模索されてもよいんだろうけど、消費形態が固まっちゃってる界隈だとへたなシステム開発はブーイング呼ぶだけだったりして難しそう。

もちろんゲームの場合でもムービーパートなどでは映像と音声は一本のリールで管理できるので、アニメ同様の方法でよいはず。あと大作ゲーで金かかっててスケジュールに余裕もある場合は、なるべく一同に会して空気感を確認しつつ収録とかもしてそう(イベントシーンだけはまとめて録ります的な)。あと SS 版「ゲーム天国」のオマケで、おそらくは「声優のひとにドラマ CD 的な掛け合い芝居をやってもらって、そこにスクリプト芝居をくっつける」みたいな試みをやってる例があったかと思う。あれは多分アフレコじゃなくてゲームにおけるプレスコ

ADVANCE WARS : DAYS OF RUIN

結局未クリアマップ全部埋めた。ゲームできるな。べつにゲーム体力問題とかではなかったかな、と思ってもよいくらい快調にゲームに没入することができている。考えてみると、アニメ体力問題にあるような「毎週放映されているアニメを淡々と全部見る場合の体力欠乏」みたいな状況が、ゲームの場合にはない。毎週発売されるゲームを淡々と全部遊ぶ的な遊び方をしたことはないし、やりたくもないからな。そんな体力は要らん。やりたいと思ったゲームに選択的に没入していくということだ。それはアニメの場合でいうとアニメ上映合宿体力に区分され、これが欠けたことはアニメ体力問題最深刻期においてもいまのところない。ただ、ゲームに関しては慢性的な合宿状態を維持するということができなくなっていたということか。生活リズムの崩れだから、それがなんとかなれば、あとは時間の振り分けという話になる。

  • 索敵マップのおもしろさを再確認。敵は見えないほうがよいねー。敵の影にビビりつつ準備万端整えていったらネズミ一匹みたいな拍子抜け、の緊張と弛緩が心地よい。ナメて突っ込んだらロケット砲陣がお出迎えみたいな逆状況もある。自分の読みの甘さや慎重さなども、索敵マップだと確認しやすい。スコアでも、全体的に SPEED が 100pts 越えることはあまりなく、POWER と TECHNIQUE の加点で合計 300pts を越えるパターンが多い。そして一番重要なのは、やはりスピードなんだろうと思う。早く済めばそのぶんコストもかからないし。
  • コスト意識はだいぶ出てきて、中盤から終盤にかけてのユニット生産は抑えることができるようになってきた。索敵マップでは慎重になりがちなので、兵の損耗が少なくなりがちということでもある。見通し悪いから「ここは数の勝負で揉み潰せるな」みたいな割り切りもないし。
  • 序盤の戦略目標にあわせて生産したユニットを、中盤の戦略に組み込んでいくかんじとか。ただここから終盤だと見切るタイミングはいまだに甘く、まだ抱える余剰戦力は多い。
  • 今作でブラックボートがなくなって輸送車で仮港と仮空港が建設できるようになったのは、ほんと楽しいと思っている。開幕にマップを見渡して、「あ、ここを攻略するにはここに基地が要るな」とかあたりをつけて、順番をやり繰りしつつ考えを実行していくかんじは、あーおれいま戦術じゃなくて戦略で戦ってるなーという気分になれる。ブラックボートがあると、戦術だけでゴリ押しできちゃったしな。ショーグンブレイクの弱体化もそうだが、大戦術感が減り、大戦略感が増した。ボリュームやトライアル仕様やグラフィック(マップチップやキャラクタなど。戦闘アニメーションは今作が良いと思う)など、前作のほうが好きだけど、ゲーム部分は今作のほうが好きになったと思う。

最近の漫画

最近また「風の大地」を読んでる。何回でも読んでおもしろい漫画のなかのひとつだ。湯けむりスナイパーは我慢できず自分でも買ってしまったが、風の大地も買うべきなのかもしれないなー。でも定食屋で読むのがちょうどいいのであんま手元に置きたくないんだよな。定食屋の漫画棚ローテーションによって、必ずしも読みたいときに読めるわけではないというのもいい。世の中そううまくはいかないものだ。ゴルフだってそういうゲームだろう。やったことないけど多分。

で、読んでるわけなんだけど、沖田のなんともいえない意志とか負けん気とかは魅力だなー。こういうキャラクターは少年漫画には居ない。青年漫画ならどうかっていうと、まあそれなりには居る。かわぐちかいじ氏作品とか。劇画っぽい性格ってことなのかな。おもしろいのは、沖田の負けん気が、必ずしもマイナスに働かないというか、むしろ良いほうに転ぶことが多いことだ。少年バトル漫画とかだと、一般的に「勝負に熱くなったやつは負ける」という法則がある。冷静さが勝敗を分けるというドクトリン。風の大地の場合にも熱くなって負けるという描写はあるんだけど、一流の勝負になるとそこからさらにもう一段あって、冷静なだけでは勝てなくなっていく。肉体操作の正確性や勝負度胸など人並み以上が当たり前になってくると、どれだけデカい目標を抱えきれるかという勝負になってくるから、むしろ熱くなってるやつのほうが強かったりする。我が強くないとダメみたいな。勝負に潜む魔物感かなー。こういう「絵で描けないことこそが鍵になっている勝負が漫画で描かれている」的な状況つながりでいうと、麻雀漫画における「流れ」の概念とか連想しなくもない。それがあるとして、どう捌くか、というような。

最終的に表出するのが冷静さであることは変わらないのに、なぜそこで熱いほうがいいということになるのかというのは、それが成熟度ってことなのかなーと思う。少年は熱さによって冷静さをただ失うのだが、青年は冷静さを保つ以外に、熱さによって冷静さを従わせることができ、後者のほうがより強いという。いや普通はできないか。沖田はそれができるから一流になった。誰もが沖田のようになれるわけではない。