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「オタファッションとしての作務衣に宿る微妙な右翼属性」を笑えるか

笑えるんだけども。

  • ボンヤリした認識なんだけど、オタクて基本的に保守寄りで右翼とわりあい親和性高くて、革新寄りで左翼と親和性高めなサブカルとはそこいらへんでも全体の気質的に微妙に反発しやすかった、みたいなオタサブ偽史がおれにはあったりなかったりとかする。往年にオタクとサブカルが趣味として区別できて、いますることに意味がないのは、それぞれが消費してるものが昔は全然違っていまは相当混じってるから、みたいなのと別に、そうした気質やスタンスが解体されて皆が所属感覚を維持できなくなりバラバラになったから、というのもあるはず、と囁く。
  • 往年には「オタクはオタクというだけでなんとなく仲間、トモダチ」みたいな感覚が成立しえたと思うが、オタクもサブカルもねえもんだよ、みたいな感覚が強まるのであれば、オタク同士の謎の連帯感みたいなものは相対的に希薄になってもいるはずで。そういった擬似感覚を最も強く感じたのは「コミケ会場へ向かう電車に乗って、会場に近づくにつれて同族が増えていき、最終的には異分子をほとんど含まない集合で車内が満たされる」みたいな体験で、しかしこれもよく考えればオタクという属性でなくコミケ参加者という(むしろサブカル的とさえいえる)当事者意識によるものだった。似たような体験は、浦和レッズの試合を見るため電車乗ったら車内がどんどん赤い服になっていった、みたいなので、まあそのときおれはドブ色の T シャツだったので仲間感はないんだけど、「あーこれなにか深いもんじゃなくて仕組みは単純なんだな」と納得した。愛なり思い入れをそこに乗せればいい。
  • いっぽうでしかし、おれの同じ口は「オタクは右も左もなくてノンポリなんだよ、往年にオタクが談義上で仮想敵としてのサブカルを嫌悪したのは、彼らが「右も左もない趣味の世界に政治の話を持ち込む不粋なやつら」として認識されていたからだ」とも平気でいうので、自分でもよくわからん。その場合「政治を語るのをやめて、そのかわりに語っていた自意識問題もあまり語らなくなったら、サブカルが「オタクみたいなもの」になっていった」「近年の若オタはどちらかといえば政治意識を持ってるような気がするし、逆に見ればオタクはサブカルっぽくなったんじゃないのたぶん」みたいなのが続く。
  • あと「無自覚にポリティカルでありつつ自称ノンポリ」はいちばん扱いが厄介、みたいなのはちょっとわかるしすいませんでした。
  • でもオタクが本当にサブカルっぽくなっていってるのかどうかは、マジわからんのよね、おれは結局サブカルってどんなものなのか本当には知らないので。普通に「一人のオタクがオタクを続けているとだんだん周囲からみてサブカルっぽくなっていく」みたいな経年劣化とか成熟とか腐敗でもいいけど、まあそういうのはあるとして。サブカルが老けるとオタクになったり…はしないよなあ。むしろ勉強熱心な若年サブカルがオタクと区別つかん(=時代の問題)と理解したほうが自然っぽいというか。
  • 個別事例と全体は別だしな。オタク新入生が新入生の時点で、往年の基準でいえばすでにサブカルっぽいのか、みたいな。まあそういう基準自体がどうでもよくなってんのに、それを見ようとして見れるかっていうと…。
  • とくに問題のなさそうなその認識(から導きだされる論調)のどこに引っ掛かるのかというと、「所属帰属みたいなもんに意味はないんだ、もっとバラバラな個人として個人を見ろ」みたいなほうに行っちゃうとキツいと思うのだ。そんな人付き合い好きでも熱心でもない多数が、それでもそれなりの友達を互いに持つことができるのは、きっかけとして個人なんか見なくても所属でなんとなく仲良くなれるからだと思ってるので。