matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

最近のよしなしごと

  • 都市生活時間帯がバラバラになってからは、時差でボケてんのか夜型のひとなのか曖昧になってきたので、「時差ボケ」って死語になってんのかもな。あるいは居ながらにして同じ時間を生きていないひとが普通に居るかんじというか。
  • A という問題を解決するため A に直交し立ち向かう、という解決は「それはそのとおりだ」とも思うんだけど、一方で越えるべき A の壁を、A と向き合うことでなく、それと直接関係ない B との闘争心によって結果的に乗り越える、という解決は普通にアリだと思ってもいる。というより現実には、前者の解決よりはるかに多く後者の解決を行っている。というのは、問題視しなくていいけど、ちょっと考えたほうがいいことな気がしないでもない。単に「それが現実だ」でもいいけど。
    • 「いろいろ手を出しているうちに、いつのまにか問題解決しちゃってた」というひとのほうが多いと思うんじゃよ。ただ、それは別の問題を引き起こす回路でもあるわけよね。
    • カタルシスの話でいうと、直接対決で解決できたら気持がいいってのはありつつ、でも間接的に乗り越えたときには、直接解決とは別種の充実感みたいなものがじわじわ染みてきたりして、これはたぶん比較できない。おまけに間接解決は、解決していたことに後から気付くことが多くて、問題設定のスケールが合わないし。
  • たまにコミュニケーション問題を教育で解決しろ的な言説あるけど、実際やるとしたらイメージとは逆で、「こういうふうにアプローチしましょう」でなく、「こういうアプローチを受け入れましょう」という受容側の心理を設定することだと思う。省略すると、それでうまくいくわけがないよな。
  • 知り合いゼロで飛び込んでみるなら小規模 OFF 会がよく、中〜大規模 OFF 会はかなりリスクが高い、というのはもうちょっと一般化されていい知識なのではないか。「OFF 会慣れしていないひとが、アウェーの中〜大規模 OFF 会に飛び込んでうまいこと周囲と絡めず、OFF 会後にミニブログ等で「やはり僕は彼らとは違う人種なのだ」と後朝(きぬぎぬ)の歌をかます」という光景はどの季節の季語にすればいいのかわからんけど結構恒例化しそうなかんじ。
    • 思うに、「やはり僕は彼らとは違う人種なのだ」ということは、OFF 会開始前に再確認しておけばいいことなんだよな(待ち合わせ時間前、会場近くのトイレの中で念仏のように十回唱えるとか)。議論の最後を「ひとそれぞれ」とするか、最初に「ひとそれぞれ」を確認して議論をはじめるかの違いに近いかんじが。とか考えると、そういう部分で傷付きやすいひとって、ある意味鈍い(というか気付くのが遅い)ってこともあるんじゃないかなあ?
    • ネットの情報不均衡(「一方的にものすごく詳しく知っているひとがたくさん居ても、そのひとたちが自分のことを知っているとは限らない」)が、OFF 会の場合かなり具体的に問題として立ち現れてくる、ということが、実際その場になってみないと身には染みないということもあるか。コミケの「コミケは全員が参加者です」理念がなかなか一般参加者に身に付きません問題とかとも近…くはないか。オルタナティブな視点が欠けている、というのは共通しそう。
  • ガンガル至上主義ですらなさそうなひとによる、ガンガルを至上と結論づける経路を適当に借景したウィッチーズいじりエントリを読んでしまい、おれのオタソウルに曇りが発生してしまった。腹へってないのにコンビニ弁当食ったときみたいな胃もたれ。「ぼくはもっとかわいそうな女の子相手でなければ勃起できません」に要約できるならまだ良い(のか?)んだけど、べつにそうでもないんだろうしなー」…という経験から、やはり思っていないことは書くべきじゃないよなーと自省した。
  • コミケに行かないインターネッターのために、ある程度まとまった読み応えのあるコンテンツをコミケあわせで公開する「裏番組更新」みたいな文化が定着すれば豊かになる気がした。
  • 優越感のデフレというフレーズを聞いてなるほどと思った。小さな成熟にふさわしい小さな優越感。隣と比べる団地マインドとかが近いのだろうか。