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最近っていうわけでもない自アン

Assassin’s Creed

おれが通称「byMIDI」箱作氏のおもしろさに注目しはじめたのがいつごろだったか調べてみようとしてログ検索したんだけどヒットしなくて愕然。まあそれはいいとして、byMIDI 氏の長文芸は、それを見るだけで読まないことによって完成すると思っている。たとえば往年でいう兄キュ氏の長文芸などは、「兄キュ最高!→n 文字目まで読んだけどおもしろかったよ!」とかそういうかんじで「読んでないけどおもしろいよ」系のリアクションを返すのが作法ではあったけど、なんのかんのいいつつ兄キュ氏は読んできちんとおもしろい文章力を持っていたので、「読んでないけどおもしろかった」といいつつ読んで楽しんでいた。けど byMIDI 氏の長文の場合は、本当にそれがただ一定の行数の長文であるというだけで爆笑であり、そこがあきらかに違っている。

ごく初期にはそれなりにちゃんと読んでたんだけど、おれの中で「byMIDI のひと」というイメージが固着してゆくにしたがって読まなくなり、現在ではただその文章ボリュームだけを確認して中身など一字も読まずに爆笑していて(←氏の文体というか、字数行数や画数による文面の密度感などから、投票リストの中で氏の票をなんとなく特定してフィルタリングするのは、おれくらいの byMIDI 氏ファンにもなれば朝飯前である)、彼の主張の中身を伝聞以外では全然知らないのだった。ファンといっていいくらいには発言おっかけてるのに。彼が繰り返し主張している「ES」についても、それがなにを意味しているのかほかのひとに教わるまで知らなかった。「ES」はただ「ES」というだけでおもしろく、それがなんであるかに意味はないという、byMIDI 氏自体と同じ扱い。だからねーなんというか、仮に氏の狂気感のメッキが剥げて、つまんないひとオーラとかが仮にその文章中に露呈されたとしても、おれの場合文章読んでないから氏は変わらずにおもしろ条件反射材でありつづけるのだよね。

それでいいと思っているし満足しているのだが、一方で byMIDI 氏全発言集とかあったらいずれまとめて読んでみたいなーとか思わなくもないという、なんかへんなかんじ。いやそれ変か?読みたいと思うほうが一般的な感覚なんじゃないのか?