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三国志

マイメロ地獄

十二巻まで読み終えた。残り一冊。もうすぐ終わる。

  • 一冊終わるごとに次々重大な人間が死んでいく。新しい人間もそれなりに育っているが、どうしても乱世の賑やかさみたいなものからは遠ざかってゆくのだなあと感じる。
  • 十一巻は蜀の若手が復讐戦で燃え上がるかと思いきや、呉の若手が駆け上がる戦いだった。うわあ。あちゃー。
  • この時代の将軍て(官僚もだけど)定年とかないのか。死ぬまで働くっていうか戦うんだなあ。老齢に差し掛かった将軍にいきなり死なれて引継ぎができないっていうような問題は深刻そうだ。いやそういうことではないか。こんな時代の戦争に携わる以上、若者だろうと老人だろうと誰がいつ死ぬかわからないのだから、「引継ぎができない」なんて悠長なこと言ってられないか。抜けた穴は生きてる誰かが埋め合わせ盛り重ねていくしかない。
  • あまり意識しないで読んでいたが、この時代の戦争だと兵力が行軍中に雪だるま式に増えたりするのがわりとよくあることのようで、しかしこれってよく考えてみるとおれの通常の感覚にはないことで、おもしろい。おれとかが漠然と考えている「ふつうの戦争」というのは正規軍同士によるもので、それらは訓練された職業軍人で編成されていて、だから「道中で数が急に増えたり減ったりする」というようなものではない。けど三国志の場合増えるんだよなー、つまりこれは軍というか武力集団がシステムでなくキャラクタベースで土地にのっかってるってことなんだろうな。景気のよさそうな将軍が近くに来れば勝ち馬に乗りたい近在の豪族とかが寄り集まって加勢してくるみたいな。正規と不正規が曖昧というか。この曖昧さというのが、つまりは乱世ということなんだろう。で、そのようなノリも、十二巻あたりになるとだいぶ収まってくる。人物によって連結されていた軍団が、システムによって連結されるようになり、つまり、国家の軍隊同士の戦争という色が強くなる。そうなってくると、どんな優秀な将軍が出てきても、英雄英傑っていうような印象とはまた違ったものになってくるなあ。
  • なんとなくだが、十万以下の兵力で戦う場合には兵力差でかなりの部分勝負が決まるけど、十万以上の戦いになった場合、兵力が大きいほうが負けるという法則があるような気がする。このへんはお話の問題もあるのかもしれないけど、どちらかというと「当時の人類の科学力では、軍隊を有機的に運用できる最大人員は十万程度だった」みたいな話なのかもなあと思ったりした。それより多いとどうしても箍が緩んでしまって、緩みを衝かれれば建て直しようがないというような。もうちょっと太くて速いインフラを整備できるような時代だったら、三国志の展開もまた違ったものになったのかもとか。
  • よく整理してみると、諸葛孔明は全然勝たないんだな。こういうところはスパロボ的理解のレベルでは知ることができなかった。なんか天才だというから強いんだろうから勝ちまくりかというと、そういうわけではないという。勝敗のフレーミングの問題なんだろうけど。
  • 張衛はこのままやさぐれて終わりか?
  • なんとなく北方三国志は、馬超がすべてを見届けて終わる三国志なのではないかという予感が固まってきた。
  • あと北方三国志つながりということで(ちょっとしか関係ないけど)、ひさびさにネットラジオヒライ×いのうえの 吊っちゃおうよ 飛んじゃおうよ」のログを聴いた。