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マッハ!!!!!!!!

マッハ!!!!!!!!

おもしろかった。アジア映画固有のエスニックな構造についてよくわからない点もいくつかあったが、それはそれでよくわからないものとして楽しめた。格闘もよかった。基本的には香港カンフーの文法だがやってる内容はカンフーの拳や足でなくムエタイの肘と膝なので演出の要点がきちんと似て非なるものになっている。

原題(英題?)は「ONG-BAK」のようだ。ノンプラドゥ村に伝わる仏像 "オンバク" の首が盗まれたのでそれを取り戻すゼーという話。仏像の名前がそのまんまタイトルになっている。オンバクを取り戻す話だからオンバク!これはわかりやすい。「ライアン二等兵を取り戻す話だからプライベートライアン!」「アーサー王を取り戻す話だからキングアーサー!」と同じルールか。邦題の「マッハ!!!!!!!!」は、ほとんど逆の軽薄なニュアンスとも解釈でき、日本向けプロモーション的な意味合いが強い。「マッハと思って見に行ったら意外にオンバクだったよ」と感じるひとも居るかもしれない。まあしかし大丈夫だろう。予告とかでも役者のひとの目を見れば、これはクソ真面目な映画なのだとわかる。

以下雑感メモ。

  • 全般的に
    • 話のつながりがよくない気がした。やるべきことはやってるかんじで、キレもいいんだけど、なんというか無骨。タイ映画に対する様式の前提理解とかがおれに不足しているからかもしれない。または最近つなぎの丁寧な映画を見すぎて補完能が衰えてるのかも。
  • ムエ(ヒロイン的立ち位置のひと)
    • あんまりかわいくない。
      • 日本風の美人ではないという意味で、むこうでは美少女なのかもしれない(「スパイダーマンのヒロインは日本だと微妙だけどアメリカじゃ美人」みたいなあれで)。
    • 悲惨。
      • 「親がいない」「育ててくれた姉がやさぐれてしまっている」「姉との関係がうまくいってない」などの開始状況からかなり不幸だが、話が進展するにつれ悲惨になっていく。
    • 嘆くだけ。
      • ここがタイ風ってところなのかな?と思った。
      • べつに彼女が努力してないってことではなく、苦しいながらも頑張っているわけだが、けどこれはもう個人の力ではどうしようもないという悲惨な状況に立たされたときに(まあそりゃそうだが)彼女は嘆くことしかできない、その当然さが意外だった。なぜ戦わない。現実的には戦えないと思うけど、でもどうなるかわかんねえよなにしろこれ映画だから。香港でも日本でもアメリカでも、女性は(すくなくとも映画のうえでは)戦う。けどタイでは、戦わないのかもしれないなあ、映画の上にあってさえも。女性自由化の進行度によるものなのか、それとも宗教や風土によるものなのか(たとえばそのー「運命に外在する人間のみが流れに逆らい戦う、それは主人公の役目で、彼女の役目ではない」みたいな)、単にこの映画だけの特徴か(ほかに嘆き担当のキャラが居なかったもんだから、彼女にその役目が集中してしまっただけとか)。
  • ハム・レイ(やさぐれ担当)
    • 俳優のひとの名前はもちろん役名についてもほとんど覚えることがないおれが、なんでハム・レイの名前だけ覚えることに成功したかといえば、アムロ・レイの父親の名前に似ていたから(ほかのキャラクタ名は、さっき公式サイトいって調べてきた)。
    • 香港映画とかでもお馴染みの、アジア調のあつかましさ、馴れ馴れしさ、グダグダ、結果オーライ主義、バイタリティにあふれた、こうしたキャラクタをおれはまったく好きではないが、しかし映画の登場人物としてはおもしろい。本作の中では抜群のキャラ立ち、というか裏主人公、というかティンの主人公性が聖的というか伝説や伝承の領域のものであることを考えれば、俗世的な主人公性を一身に負っているハム・レイこのが表側の主人公なのかもしれない。
  • ティン(主人公っぽいひと)
    • 俗でいえばちいさな田舎者、聖でいえば非常におおきなキャラクタ。
      • 孤児、寺で育てられたムエタイの達人、村一番、最強、誰にも負けない。「絵に描いたような」「現実離れした」といった映画的ヒロイックパート担当、というか専任。
      • 劇中で「(主人公)は前世でオンバクと双子だったのかもしれない」という台詞があり、じゃあ原題の「ONG-BAK」には(表&裏 or 仏&人それぞれの)主人公を指す意味あいもあるのかもしれないなあと思った。全然ちがうかも。
    • この強さと純粋さは「もののけ姫」のアシタカに似ていると思った。それは幼稚さでもある。もののけ姫の場合はその力が物語を転がすことになったが(なんて主人公におわせる負荷の高い映画だ!)、マッハの場合は、聖俗ふたつのうちの俗担当にハム・レイが居たので、ティンの力は聖界に留まり、俗界の転変や変容には働かなかった気がする、ガイドレールに従ってイノセントなパワーを悪党に叩きつけただけというかんじ、途中からはたらきはじめて一度に変えるのではなく、聖の世界で決した結果が俗に反映されてゆくかんじ。ちょっと抽象的な書き方になってしまったな。あとで読んで意味わかるかこれ。
  • コム・タン(ラスボス的存在)
    • 人工声帯でサウスパークのネッドを思い出した。
    • 彼が「私は神だ」とか言い出したあたりでいきなり漫画くさくなった。適切な翻訳だったのだろうか?
    • でも、中盤までなんとなく「タイの文化遺産である仏像を海外に輸出したりとかして稼いでる悪人」と思ってたんだけど、どうもこのひとの場合そっちが主目的ってわけじゃなさそうだなと思いなおしてみた。仏像の首切っちゃってるし。石仏を海水にそのまんま漬けちゃってるし。商品価値下がるだろと。そういう意味で、売ったり首切ったりとかするのは手段に過ぎなくて、このひとの目的は既存の神や信仰を冒涜することなのかもなーと捉えてみれば、前述の台詞も実際に原語でああいうニュアンスのことを言ってても妥当なのか。
  • 生活とドラッグ
    • タイといえばバンコクバンコクといえば麻薬!というかんじで麻薬売人とかが物語に絡んでくる。
    • でもそれだけじゃなくて、敵は戦闘時にドーピング使ってくるし、あとティンが旅立つときにお師匠さんから渡される薬草って、あれは「飲んだら殴られても痛くなくなって、あとものすごく元気が出ます」みたいなあっち系の性能の薬草なんすなこっちも使ってんじゃんと(「ティンのは伝統に基づいてるから OK、敵のはふつうに違法でダメ」とかそういうアレなのかな)なんかもっと、主人公がいっぺんコテンパンに叩きのめされてピンチに陥るときとかに使う回復系のドラッグだと思ってたよ。ここいらへんのありようというか見せ方が、日本とあきらかに違ってておもしろいなーと思った。
  • 最後のオチ
    • ティンが敵をぶったおしてドリャー!と決めて終わり、とかそういうのでなく、村に仏像が戻って平和訪れてエンドという、人物でなくコミュニティにフォーカスした、この終わり方はとても印象的だった
    • というか、見落としただけかもしれないのであれだけども、最後のシーンだとティンもムエもハム・レイも、その後どうなったのかわかんないんだよな。なんか序盤の伏線で「この布、ハム・レイが出家するときにどうかしら」とかなんとか言ってた、その布が出てきたと思うので、たぶんハム・レイはあすこで死なずに田舎に戻って出家して、そして最後のあのシーンは彼の出家のセレモニーだったんじゃないかなーと思うんだけど、よくわからん。とりあえず村については平和になりました、おしまい、みたいな
    • 劇中であれだけ嘆いたムエについては、あすこは最後に満面の笑顔を見せてあげて「彼女もひどいめにあったけど結局しあわせになりました」とかなんとか落とすのが日本的にはスジなんじゃないかと思うんだけど、そういうことじゃないんだなあ。ティンも、あれだけがんばったんだから村のヒーローになってパレードだろと思うところを全然そのようなものは描かれず。この二人は二人とも孤児出身なわけで、特にムエについては完全に身寄りのないひとになってしまったわけで、そのへんに関して最後になんらかのフォローがあって然るべきなのではないかと思ったりするんだけど、特になし。まあムエについてはバンコクの学校に戻ったのかもしれないしな。ティンの場合そこいらへんのなんにもなさが逆に伝説属性っぽいわけだしな
    • 見落としたにせよなんにせよ、よくわからんということは、はっきりと人物にフォーカスされなかったのは事実。ここいらあたりが「ONG-BAK」の説法的な部分ってことなんだろうか。