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  • やはり運命に囚われ抗えず呑み込まれ自暴自棄から自滅した鉄雄は二流、なんにもないのに首突っ込んで引っ掻き回してスジだけ通した金田は一流だ。運命とか宿命とかが好きなのは関係ないとなにもできない世界への関心のなさであり、邪気眼はそれでも世界を繋ぎとめようとする健全な動機といえるんかな。なにもせずに生きて死ねるならそれに勝るものはないが…。
  • やはり「生涯遊んで暮らせる金が手に入ったとしても、それでも自分には世捨て人になれる強さはないのではないか?金が手に入ったあと、心を手に入れるべくあくせく働かざるをえないようなら同じザマなのでは?」というらへんの想定をしておかねば。たとえがアレだけども資産 10 億あったら選挙権要らない、みたいなのとか。…まあ金はあればあるほど普通は選挙権要るんだろうけど、貧乏人は利殖で食う発想があんまりないのでなー。
  • おれ基本的に世の中に働きかけたりとかしたくない人間なんだけど、それでもそこそこには働きかけて生きており、これってもっとゼロまで近づけて行くほうがいいのか、そうでもないのか、身体の為すことを信じて流れて行くだけでいいのか、わからんのよね。
  • あと「人生はじぶんが主役」圧力の無駄な重苦しさも解体しておかないときつい。一人称視点という部分と舞台の主役という部分を切り分けるだけでええのかな。舞台は主役がいちばんおいしいわけではないんだし。
    • 人生の主役が自分なら、人間が 60 億人居たら 60 億の物語が常時息づいている、ということになるから厳しい。物語は見出されない限り存在しない。誰かが誰かを見ているとき、その誰かには物語が「存在したことになっている」が、見られる直前までは存在しなかった。
    • 人生の物語は人類の頭数ではなく人類から見られた人数ぶんだけ存在することになる。たぶんアメリカ大統領とかすごい太さの物語で、そうでもないひとの物語はそうでもない。したがって「人生は自分が主役」圧力には、本来の「主体的に生きろ」から離れて「他人から注目される生き方をしろ」という意味にも働いてしまう脆弱性がある。SNS の見せ趣味とか見せ人間関係でもあるまいし、見せ人生とか主役のつもりで誰の人生だっていう。