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ひさびさにインターネットっぽい話をした

ひさびさにインターネットっぽい話をした。たいへんおもしろかった!夜中から明け方まで、まったくダレない四時間くらいだった。せっかくなので何か書きたいけどあんまロクな話はしなかったような気がしたので一部だけ適当に膨らませて書こう。膨らませると長くなりそうだから何日分かにログを分けよう。そうしよう。

  • おれの精神安定として「なにかがガラリと変わるとしても、世の中は多くの人にとって自己正当化できないような変化の仕方はしないので、変化に備えていなくても、自己正当化だけは大概問題なくできるはずだし、それさえできてりゃ精神的には支障ないはず」というのがある、みたいなことを話した。
  • これ一体なんの役に立つ精神安定術なのかというと主にアンチマーケティング関連。ようは我々は広告社会を生きているし、広告社会において広告は際限なく打ち続けられねばならないけど、広告マンだって大変だろうから、枠を埋めるため不安ドリヴンの芸のない広告ばかり増えていって、「これをしなきゃ乗り遅れる!」「みんなもう次のステージに移ってる!」「いまならまだ間に合う!」「はやくこのバンドワゴンに飛び乗れ!」みたいなのを毎日浴びることになるからには、不安耐性をある程度基本的に持っておかないと生きづらいだろうらへん。
  • あのねーおれもある程度生きて世の中それなりに見てきたかんじでいうと、科学技術などによって我々の生活とかにかなりイイカンジの革新が訪れるとき、それに真っ先に飛びついて先進的なスタイルを進取していったひとたちってべつにその後大してしあわせになってないのね。というか、世の中が彼らの読みどおりに革新したとしたら、その新世界って彼らにとっては「世の中のあたりまえの姿」なわけで、喜びとかはなくてべつに普通なんですよ。将来そうなると思ってたことが実際にそうなっただけ。で、先取りしていた革新が訪れなかった場合には「喪われた近未来…株式国家セガ・エンタープライゼス・コムは新世代ゲーム機によりついにマーケットシェア九千兆%を占有し、人類一人あたり 4 台にまで地球に遍く普及したウェアラブルゲームプラットフォーム DreamCast 8 により、人々は Dream Passport ネットワークに接続され、毎日毎晩エキサイティングなゲームプレイに興じていた…」みたいな世界線へ飛翔するしかなくて不幸。
  • だいたい「おれもっとずっと前からこれの良さわかってたもんねー」みたいに後追い消費者に対して先輩ヅラとか「消費者としてよく訓練されてる」だけのことで、それをわざわざ優位性としてアピールしだすようならイタいし(奴隷の鎖自慢とあんま変わらない。ほかには「高品質なものしか身体が受け付けなくなる」みたいなのも「飼いならされてんなー」感高い)。先行者利益ってアメリカンドリームか何かでしょみたいな。日本じゃねえし。いやそもそも先行者利益ってサービス側の話なので消費者(我々)側に利益もクソもないし。携帯電話だって古参ユーザより新規加入者のほうが優遇されるし。だいたい古参気取りとか敬遠されるので新参のほうが友達もできやすいし。あ、気持ちフレッシュなほうが生きやすいってのはアンチエイジング圧力問題か。
  • …脱線したので戻して、いろんなブームとかパラダイムシフトとか見てきて、ブレイクというかキャズム越えというか、「あー、ついに普及がはじまったー」みたいになったあとに参入してくるひとたちを観測していたら、彼らべつに全然ブレイクするまでその革新の良さに気づいていなかったことを恥じたりしないんだよね。当たり前の、平気な顔してんの。ついこないだまで世の中がこんなふうになるって想像すらしたこともなかったのに、そんなのおくびにも出さず平然とブームに乗っかってくるの。むしろ「おれは前から気付いてたよ、こうなるってことをね(そう、iPhone ならね)」くらいのドヤ顔してんの。これだよ。自分が後追いになったときに、この顔ができていれば、毎日なにかを気に病んで暮らす必要なんかないんだよ。見えない明日を探して眠れない午前二時を過ごす必要はないの。で、おれ得意なんだよね、そういう顔。というかおれだけじゃなくたぶん人類全員得意だね。この顔ができるようにプログラムされて生まれたんだよ。普段から四方八方にアンテナ張り巡らせて、先進的な分野とかにちょう興味持ってて勉強しまくってるひととかでも、意識の範囲外で起きた革新については平気で平然と当たり前のドヤ顔で後追いで乗っかっていくんだよ。自分だってそれやってるわけ。
  • 「自分がとくに興味持ってない、意識していない分野」については誰でもそれができるの。だから、あとは「自分がちょっとは興味もってたり意識してたりする分野」でも、それをできるようにしていけば、資本主義社会生活がガンガン楽になっていく。広告されなくてよい、啓蒙されなくてよい、啓発されなくてよい、洗脳されなくてよくなる。そうしたものに意識や興味も向けなくてよい。それらが示すものがおれを本当に革新するなら、おれはたぶん「その時」が来たときに平気で平然と当たり前のドヤ顔で後追いで乗っかっていくんだよ、「おれは前からわかってたし気付いていたし理解していた、この日がやがて来ることを」くらいのことを思いながら、じつは全然想像していなかった事態へと臆面もなくなだれ込んでいく。そして、その新しい渦の中でたぶんさほど困ることもない。そういうふうにできている(←いまちょうどとらドラ見ていた)。
  • つまりこうだ。「なるほど、たしかにすばらしそうだ、きっと世の中は(あるいはおれは)きみの言うようになるし、あるいはなるべきだろう、そのためには準備しなければならないこと、知るべきこと、理解しておくべきことも多い、けどたぶん、おれは「その時」がきたら自然ときみの言うようになって、必要な準備はできていて、知るべきことを知っていて、あるいは知らなくてもどうにかなるようになっていて、必要なことをじゅうぶん理解していると思うので、ブレイクする前にわざわざ教えてくれなくてもいい、今その話を聞いても意味ないし、後になったらもうきみの話は必要なくなってる、だから、その話聞かなくていいや、応援するよ、世の中がきっとそうなるといいね」。
  • …とかいうと、たんに口を閉じ眼と耳を塞いで生きるみたいなかんじに思えるかもしれないが違う。これはどちらかといえばなにかの先端とか流行みたいなものに興味を持ってる人間のほうが、より強く持っておいたほうが生きやすい精神安定術なんじゃないかと思っている。「たぶんそういうものだ」と念じて生きるほうが、流行する前の微振動みたいな現象を追いかけて突っ込んでいく毎日の無益さを、楽しんで生きることができるんじゃないか。

気力があれば続く(続いた→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20121001#p3)(もういっこ→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20121110#p1)。