matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

最近のゲーム

ゲームやってない日記。

  • れいによって一日の 1/3 くらい自動車を運転しているので、運転をゲームの一種とすれば亜ゲーオタくらいの位置に食い下がれるつもりだ。ところで最近おれの観測範囲ではバイクに自転車と、TEST DRIVE フルスケール勢が増殖しているかんじであり、世界は 4D(←PS3 用語)化へ向かうのかもしれない。
  • あと自動車の運転行為がそのままレースゲームのプレイ感覚に代替されるのかというと全然違う。個人的に「順位やラップタイムなど結果へ向けてプレイが集束する=レースゲーム」「アナログ入力によりファジーに走行の過程自体を楽しむ=運転ゲー」という区別があるので、強いていえば自動車運転行為は運転ゲーに近いが、しかしそれも違う。なんかやはり全然違うもので、どちらかといえば「それが終わったときに減っている体力の質」みたいなもので計測しているかんじ。FPS とかパズルゲームとかを漫然とやってる感覚とかと共通性を見いだしている部分もある。
  • パワフルな車で速く走ったりすることには全然興味がなくて、軽とかバンとかで長距離をダラダラに走るのは楽しいという、なんというか往年にやってた「ママチャリで池袋から横浜まで行ってみよう」みたいな感覚の延長なんよね。でもこれ「衛星地図データとか参照してなんかうまい具合にバーチャル日本一周ドライブとかできねーかなー」とか昔から思っていた欲望が、結局まだできないのでバーチャルな欲望の代替として現実にそれをやりたいという倒錯的な欲望なのではないかという懸念も。
  • ニュースで見るイギリス暴動がすごすぎて「やっぱ悪ガキの本場はイギリスやで」との思いを新たにした。あと「イギリスから見たアメリカに対する批評的視線、みたいなアングルで理解していたんだけど、どうやら GTAアメリカを題材にしたガリバー旅行記的手法だったでござる」というゲーム批評あるかな。
  • 世界を救う系の人間が部屋の掃除してるシーンみたことない。あ、アニメなら?…駄目だ。やはりゲームで考えなければ。「こんな部屋……綺麗にしてみせる」「仕方が無い、部屋でも掃除するとしよう」「万年床が埃を紡ぎ出す RPG」。思うに戦後教育的な意味での「世界を救う」てのは、悪の統一秩序からの「開放」であるから、その先には個人や共同体レベルでの一時的な混沌が謳歌される。ようは整理整頓されそうになったら散らかすのが英雄の仕事ではないか。