matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

旅行 2

引き続いて(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20110611#p1)。長崎県の北のほうに、西海橋という橋があるので見に行った。橋をもうちょっと北に進むと佐世保市があり、佐世保市にはむかし Techno soft 社があって、「あらかじめ効果的的な射撃位置へ移動しておいて敵群出現と同時に手早く殲滅、あまり動きまわらないほうが得点が高く、上手くなればなるほどプレイがラク」という持ち味の STG を開発していた。まあ関係ない話だ。

  • Instagram Instagram

西海橋は、長崎県の半島を接続するそれなりに有意義な橋だが、県の動脈からは(たぶん)外れた地点なのでさして重要度は高くなく、またいまどきの基準でいえば大してでかい橋ではない。最近旅行あちこち行ってでかい橋見まくってるので(瀬戸大橋とかあまりのでかさに「これピラミッドとか万里の長城とかに匹敵する事業なんじゃねえか」とか思った)、いっそう小さく感じる。でもまあ、こういうときによくやる「突如人類がおれ以外全員消失し、孤独になった代償としてなぜか不老不死の身体を獲得した場合に、おれはどの程度の物理的地理的情報的範囲で現存文明を利用し、あるいは維持しうるだろうか、また新たな構造体を建築しうるだろうか」みたいな想像のうえで、「おれ一人では、何百年かけようが、そこいらに建ってる陸橋ひとつ作れない」という結論に至り、これだけの構造体を建設したコストとそれを積み上げ得た技術体系の下支えにただただ驚嘆するしかないわけである。

  • Instagram Instagram Instagram

橋の真ん中あたりに休憩所(?)みたいなスペースがあり、ガラス床から下が見える。高所恐怖症のおれには毒だ。あとどことなく Bioshock ぽい。

で、ふと橋から横を眺めたら、へんな塔みたいなのが立ってて、そのスケール感がちょっと異様。なんだあれは。

  • Instagram
  • Instagram

なんかこう Oblivion っぽいというか…。調べてみると、針尾送信所というらしい。

針尾送信所の 3 本の無線塔は、旧大日本帝國海軍が 1918(大正 7)年から 1922(大正 11)年までの 4 年もの歳月をかけて完成させたもので、高さ 135〜137m の鉄筋コンクリート製の塔が一辺 300m の正三角形を構成するよう配置されています。

かつては塔頂部の展張装置を介して、塔と塔の間に空中線が張られアンテナを構成していました。当時は長波が用いられていたため、このような大規模なアンテナ施設が建造されたのです。

ところで、針尾送信所については、「1941(昭和 16)年 12 月 2 日、太平洋戦争開戦の日を指示する暗号電文『ニイタカヤマノボレ一二○八』が針尾から送信された」とする逸話がまことしやかに語られることが少なくないのですが、当時北太平洋を進行中の真珠湾攻撃部隊に向けて件の電文を送信したのは海軍東京通信隊であり、送信に供された施設は千葉県船橋市行田にあった船橋送信所の無線塔(現存せず)です。

巷では「中国大陸や南太平洋に展開する部隊に対して開戦を伝えるために針尾からも中継送信された」とされていますが、これには反論もあります。

少なくとも、記録の残る事実からは真珠湾攻撃に針尾が直接関与していないことが明らかであり、「針尾から送信された『ニイタカヤマノボレ一二○八』によって太平洋戦争の火蓋が切られた」という言説は史実に反します。あまりにもニイタカヤマノボレ云々を言われるがための誤解が後を絶たないようなので、念のため。

無論、だからと言って針尾送信所の歴史的価値が滅するものではありません。

なるほど、アンテナ廃墟なのね…。

  • Instagram

で、夕方の景色がすばらしかったので激写。ちょっと出来すぎな空というか、シンカイマコティックすぎだ。

  • Instagram Instagram Instagram Instagram