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呉学人「I'm feeling Lucky」

  • 将来スポーツの国際大会などで TV に映ってる中国人を「世界で活躍する黄色人種の代表」として誇らしく思うような日が、日本に訪れうるのだろうかと、漠然と考えたりしている。いまんとこ、あまりなさそうな想像だが、先のことはわからない。…とかいうのは、政治とか国際情勢とか思想とかが絡む面倒な領域だが、おれの関心はもうちょっと単純な「中国みたいな雑多な量の力の中から今後どれほどの効率で質を抽出されうるか」みたいな話のほうにある。いってみれば Google 信者的なスタンスがどこまで便利に活用できうるだろうか、というのに近い妄想だ(関連→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20100809#p2)。おれはべつに Google 信者ではないんだけど、でも自分が Google 信者だということにしておいたほうが生き方として便利なので、そういうことにしている、という立場なので、その便利さの有効範囲を考えておくことには意味がある。賞味期限切れが近づいたら次の宿り木を探しとかないと不便になるから。
  • この情報化社会において量は最重要の要素だ。質は量を切り裂くが、質を保証するは量であり、いちばん強いのは「量を背景とする質」ということになる。したがって量から質を抽出するための理論、技術、方法のようなものの研究開発によって世界は制覇される。そして人類の最大シェアを誇る中国人勢は、いちばん優れた方法が実装されたとき最高のパフォーマンスを発揮する集団となる、はずだが、いまだそうなっていないのは、Google ですらいまだ全知全能に到達していないのだから当然のことだ。で、その「いちばん優れた方法」なるものが実装される日が来るのか来ないのかは、バベルの塔を予想するような話でもあるんだろう、と思ってもいる。
  • 単純な「量の力で解決する」方法は制約が多くて「人月の神話」でも読めという話に落ちる。でもまあ制約の範囲をうまいこと使えば、あるいは効率度外視でとにかく力押しする場合には、いまでもけっこういいとこいってるように見える。一方で「母数の多さにより精鋭の質が保障される」についてなんだよな。まあ智多星の呉用が現代中国に降臨でもしないと無理だよね。ようはリクルート(検索ならマッチングといったほうがいいか)のむずかしさだ。人間社会のあらゆる悩み事が I'm feeling Lucky が一発で正解に導かれ続ける理想郷がそれにあたる。そしてそんなものは、ない。

でもなー、

エンジニアを理解しよう -- その 9

高校の体育館で、女子が片方の壁に並び、男子はもう片方の壁に並んでいるとする。10 秒ごとに、お互いの距離の半分まで近寄ることにする。 数学者、物理学者、エンジニアに質問してみよう。「女子と男子が出会うのはいつか?」
数学者は言った。「出会うことはない」
物理学者は言った。「無限の時間が過ぎた後に。」
エンジニアは言った。「えーと…。約 2 分後に、彼らのしたいことがなんでもできるぐらいに近づくね」

↑を参照すれば、たぶん理想郷ではなくても「理想郷みたいなところ」へなら、いずれ辿り着くことがあるのかもしれんし。あるいは、未来より過去の乱暴な方法のほうが結果的にマシ、みたいなこともあるかな…。