火の七日間 第四日
引き続いて(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20110510#p1)。四国三日目。県庁スタンプラリー四国編をサクッと終わらせたので、今日はまた T くんの案内で、一日香川県内の観光っぽいことをやるのだ。
まずはとにかく朝飯。当然うどん。うまかった。そして金比羅山へ向かう。
ニーハオにゃん。
金比羅山は、文字どおり山だ(http://www.konpira.or.jp/)。多少曲がりくねりながら、延々と石段が続く。裾野のあたりは延々観光客向けの商店街で、結構賑やかな雰囲気。でも敷地内に入ると店はなくなる(門のところに、由緒があって特別に敷地内での販売を許されたという屋台が 5 軒ある。「五人百姓」というらしい)。中腹まで登ると本院があり(ここまで 785 段)、まあそこまで登れば一段落というところだが、石段はさらに山のてっぺんまで続いていて、終点に奥の院がある(追加で 583 段)。せっかく来たんだから、ここは奥の院まで行っときたい(計 1,368 段)。
- さすがに金比羅宮ともなると神馬も本物の馬だ(あんま大きくないとこだとハリボテの馬だったりする。小さい神社にはそもそも神馬が居ない)。
- 小休止。ところで金比羅山の参道は、道沿いに寄付者の名前を刻んだ石柱がズラズラ並んでるんだけど、一本 100 万円の柱がズラズラ並んでてビビる。どころか一本 1,000 万の柱もドカドカ立ってて「あるところにはあるんだなあ」とかザブングル的感想しか浮かんでこない。まあでっかい神社仏閣てだいたいどこもそんなスケールなんだろうけども。
- ていうか、金比羅山の中にある建物て必ずしも神社っぽい建物ばかりではなさげというか、小休止した場所の正面にあった建物とかどちらかといえばお寺だよね。明治に廃仏毀釈があったので一層ややこしいことになってんだろうけど、もともとお寺と神社が混じった場所だったようだ。
- 本院着いた。雨と霧と湿気と坂道とでだいぶ不快指数は高いが、このくらいの疲労度なら問題ない。いくぜ奥の院。
- 菅原道真より怖いという崇徳天皇、らしいんだがよく知らん。デジタルデビルストーリー女神転生で出てきたっけな程度。
- ここいらでラストのはず…。
- ついた。まじきつかった。晴れてりゃ随分マシだったと思う。湿気と汗でまとわりつく服がダルい。
- 下り坂で膝が笑って困った。やっぱ肉体疲労も大きいか。寄る年波よな。
昼飯は当然うどん。うまかった。
このあと「金比羅山のあとはお遍路さんだ」とばかり善通寺に行く予定だったのだけど、すっかりズブ濡れになってしまったので、行き先を風呂に変更。
- 通りがけに塩まんじゅうなど食った。うまし。
- 香川県で「打ち放題」という文字列だと「うどんを…?」と誤解するよね。
- 日本には建築当時の天守閣を遺す城が七つあるらしく、そのひとつが丸亀城。しかしこの城は天守閣に対して石垣が立派すぎるため、住民は天守閣をスルーして石垣を自慢するらしい。ともあれ石垣はマジ立派。やっぱ京都に近いとこは国小さくても金持ちだったんじゃろな。いや中世日本での四国と京都の距離感がどんなもんかは知らんが。まあ九州よりは近所だろ。
- せっかくなので瀬戸大橋を見物に行ったけど、霧で全然見えず。霧の向こうに消える長大な橋の影みたいなものは見えたけど、撮影できるほどの距離でもなく。
晩飯も当然うどん。not セルフ。うまかった。三食うどん全然いけるね。讃岐うどんすばらしいね。リリンが生み出したほにゃららだね。
で、夜になったので二日間世話になった T くんに別れを告げ、一路徳島県へ。昨日適当に検索して予約したフェリーで、今夜のうちに和歌山へ渡っておくという段取り。今回フェリーには呪われてるかんじだし、ちょっと霧濃いんで、ちゃんと出るかちょっと心配ではあった。
南海フェリーって…。
和歌山着いた。再び本州。さくっと寝た。五日目につづく(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20110512#p1)。