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最近のよしなしごと

  • 「めんどくせー」は、後半の「どくせー」あたりの発声がめんどくさいので、「めんでー」のほうがよりめんどくささ表現として優れている。
  • 時間という考え方があることは共有しているが、腕時計以降時計は私有されるから、隣人ともバラバラの時間を生きているとはいえる。それでは困るから、職場や家庭では基準となる置時計で同期するわけだが、もうちょっと原始的には、何時であろうが日の出日没に合わせるのは絶対的か、とおもったけど、現代の個人の行動圏のひろさでいったら、日没時間も同期しない場合がけっこうありそう。
  • 深夜徘徊してるときに、泥酔したおじいちゃんが「僕は〜云々」みたいに独り言をブツブツ呟きながら歩いてるのをみたことがあって、「ああ、あの歳になっても一人称僕はアリなんだー」と、なんだかジーンときたことがある。「人生…」と独語するところだ。
    • おれの父は、おれが物心つく前に死んでたので、父親の一人称に関する実感がおれにはないのよな。想像では「俺」。祖父は、それぞれ「俺」と「儂」だった。「俺」のじいちゃんはサラリーマン上がりで、「儂」のじいちゃんは教育関係。関係性の薄い他人からの視線とどれくらいの頻度で接していたかが、一人称の変遷に関係しそうだ。おれの場合は「僕」から出発して中学の 1 〜 2 年からこっち延々「俺」(ネットでの表記は「おれ」)なんだが、これがさらに変化するとすれば、どんな経緯によってであろうか。