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「当サイトはリンクフリーです」「アンフォロー&ブロックご自由にどうぞ」

  • 「アンフォロー&ブロックご自由にどうぞ」て言われると、もともとこっちの権限のものにわざわざ相手が許可を与えにきている(主権に干渉してきている)かんじがするので印象悪いような。「自由にしていい」という言い方は自由の範囲を限定するっていうか。じゃあ「あなたは自由だ」かなあ。だがそれこそ自明の話だから、やっぱり書くのも野暮という流れに。
  • へんなたとえになるけども、職場でなんも仕事せんかったオッサンが、作業の終わり頃になってちょいちょい様子見に来て「うん、うん、じゃあそれまとめてあっちに提出しといて」とか意味のない口出しをすることで、口頭では作業に漠然と絡んだような格好にしたがる、みたいなの、にっぽんのよくある光景。そこに生じる「おまえに言われんでも元からあっちに提出するもんだよボケ」みたいな感情。「アンフォロー&ブロックご自由にどうぞ」という文言は、あれに近くないか。…まあ、そのたとえは、前提として「サボってるオッサンにむかついている」という感情があるから悪印象につながるわけで、悪感情ゼロからスタートしてるアンフォロー以下略の場合とはだいぶ違うんだけど。回路自体は似てるんじゃねーかなという。
  • 善意と善行は違うっていうか、それらはあまり結びつかない気がしているから、「当サイトはリンクフリーです」というのが善かれと思っての文言だということは疑いなくとも、それがどういう態度に結びつくのかは、わかったもんではない。だいたいのひとは善意を持っているだろうと信じるが、だからといってだいたいの人類がいい人間であるとはいえない、みたいな。だから油断なく警戒しろ、とまでいくと神経症っぽいけど、まあ期待すんなというあたりなら無理のない落としどころだろう。
  • とはいえ、善行はせいぜいがシステムになる程度の枝葉でしかなく、基本的には善意の共鳴によってしか、ひとの心の伝播はない。そこにあるカタルシスは結構大事だし、むしろなんらかの節目節目には必要のレベルなのかもしれないと考えれば、善行的であるよりも善意的たろうとする人々には、それが可能性であるがゆえの偉さみたいなものが備わっているのかもしれんし。

…なんの話だっけ。