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多重時間生活

朝一で来るつってた業者の朝一が昼前だった。田舎。

…だがへこたれてもはじまらない。おれの時間はおれにしか進められないのだ。なんだか、地方に来てそのことはしみじみと感じる。なにをやるのにも距離があり、時間がかかり、くたびれる。「街が自動的に自分を衝き動かしている」感覚が得られない。まるで時計の針を自分で回さなければ時間が進まない世界のような。実際には都市部においてもそうなのだが、都会には、なんというか、生き急ぐ錯覚があり、それでなんとかなっているような部分があった。際限なく怠けることができてしまう。そして、怠けてどうにかなるほどライフネットはきめ細かくない。しぬ。死の恐怖。

いやしかし、本質的には、その必要がないなら時間なんぞ進めなくて一向に構わん、というのはあるから、時間進めなきゃいけないのは貧乏くさくていやだなあ、という感情は抑制できんねどうも。生まれた瞬間に死ぬまでの安泰が確定していたので、そのまま一手も打たず満足して死んでいきました、というのが最高なんじゃねーかという。「なにもせず死んでいく人生は空しい」とかいうけども、それ何もしなくてもおもしろおかしく死んでいける強さみたいなものを自分は持つことがありませんでした、というだけのことで、貧乏人の僻みなんじゃねーのという気分が拭えん。とはいうものの、おれの立場はどう考えても貧乏人側なわけだから、ポジション的にはそっちに自己啓発したほうがたぶん便利ではある(どうせ貧乏人なんだったら僻みを持つほうがナチュラルという)。ちょっと別軸だけども「借金も財産」みたいな考え方はあるけどもな。うーん。ともあれ「自分にはその道しかない」を「世界の理はそれひとつだ」と履き違えてみせるのは説教おやじのテンプレで、おれは若オタの頃それがイヤだったから避けたい。だいいち一生が一回しかないからといって世界観をひとつしか持たんというのでは貧相な話じゃないか。

なんかへんな流れになってきたけども、そもそもおれはここ二年ほど、実際的に二重時間を生活してきたという経緯がある。なんのことかといえば日記遅延問題、実時間と日記時間の帳尻を、合わすことができないままズルズルと生活してきたわけだ。実時間は寝てても勝手に進むが、日記は書かなきゃ日付更新されない。だから「意識しなければ時間が進まない」という体感は、おれにとってもはや理解のむずかしいものではない。でも、どうやらこれからは実生活においても、時間を自力で進めるという感覚を、より強固に持つ必要がありそうだというのは、やっぱめんどい。