matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

インターネット言説に巻き込まれないほうがインターネットは楽しい

「お前 1000 冊読んでるか?」(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060414#p1)関連。なんかこの事例、その後みょーなかんじに波及して、いろんなひとの諧謔芸のダシになったみたいで、元発言の SF 界隈のひとたちや、こういうのでゲンナリするタイプの若オタのひとたちに悪いことしたなーと思ったりしている。実際「どうせ 1,000 冊も読めないし…」みたいなかんじのひとを 3,4 人、目視確認した、OFF 会で。

  • 「SF を語るなら最低 1000 冊読んで来い」みたいな言説を前にして「むかつく」「へこたれる」の二択になってるんだとしたら不幸。スペースデブリにまみれたインターネット前提脳。言説を唱えるのはひとの勝手、であれば、それをみてどう思うのも自分の勝手、そしてこれが重要なのだが、インターネットにおいて、なにかの言説に反応することは、その言説を裏支えし、猥雑な粘りを伴って結果的に強化してしまうことに結びつきやすい。つまり、「これはどうでもいい」「この言説はクソだな」みたいなかんじに思ったなら、決してその感想そのものをネットに再放流してはいけない。「どうでもいい、とわざわざ主張するからには、そこにはどうでもよくない何かがあるのかもしれない」「強烈に否定したくなるほど、逆方向に魅力的な言説なのかもしれない」みたいな勘繰りが勘繰りを呼び、ムーヴメントを大きくしていく。
  • 第三の道、とてもかんたんな話で、スルーしとけばいい。グダグダうるせえ連中なんざ放っておいて、手前で「1,000 冊読んでないけど SF 語るぜ界隈」とかでも形成すればいい。べつに大した努力は要らない。作ろうとしてみて、賛同者が出てくれば形成されることもあるだろうし、形成されなくとも、まあそれはそれで構わない。「彼らに与さないでいること」に意味が生じる場面を待ちながら、自分なりの毎日を送っていていい。
  • あと、そんなふうに毎日コツコツ SF を読んでいくのに従って、「1,000 冊読んで来い」的な心情がだんだん染みてきて、かつて狭く暗かった視界が徐々に開けていく感覚みたいなものを得ることだって充分ありえて、それならそれでもいい。生き方に正解はなく、読書経験に善悪はなし。どうなったって悪くはない(そのかわり、いいとも言えない)。
  • …というのが個人の側の処世術の話で、ここから先は脱線。
  • こんどは話をひっくりかえして、そのような個人を含む共同体の中で言説をコントロールしていこうという話になれば、このような事例集から「肯定でも否定でも関係なく、とにかく読者から反応を引き出すことで、さらなる読者の再反応を誘発して、それによって言説の生み出した重力・運動圏に、より多くの読者を巻き込んでいく」というデザインこそが上等だ、という方法論が導き出せる。ようするに、プレイヤ側のルールは「くだらないものに反応したら負け」で、ゲームマスター側のルールは「なんでもいいから反応させれば勝ち」。インターネットのややこしいところは、このプレイヤとマスターの役割は参加者全員が兼任していて、瞬間瞬間でロールが入れ替わったりするあたりなんだが、まあ以下略。
  • だから、ダメな扇動手法として「これが正解だから、それに従って前進すべき」みたいなロードマップを掲げて、正しさの共有、理想へ向けた連帯で何らかの目標を達成する、みたいな方法を挙げることができる。考え方として清潔でいいかんじなんだけど、説明・理解の双方向に高いコストがかかるので、必然的に伝播範囲が限られる。インターネットには向かない。そうではなく「接触自体を拒絶しないと、自分でもコントロールできないうちに、自動的にそうなってしまう」のが理想。
  • かんたんにいえば、「中二病」とか「非モテ」とかの用語が挙げられる。これらは、意味が散々ブレまくりながらも、それらに関してなにか言いたがる人間を多数巻き込んでふくれあがり、そして一旦そこに関与してしまえば、「なんとなくそこいらへんにありそうな問題」を、すべてそれらの用語越しにしか考えられなくしてゆく効力を持っていて(←それらの用語を使わないほうが整理された説明が可能だったかもしれないのに)、一度引っかかるとなかなか抜け出せない。

めんどいのは、たのしくないので、あんま他人事に親身になりすぎるのは考えものだ。親身といっても、ネットごしだけでは限度があるんだし。