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最近のゲーム

  • 地獄!クランクイーンがネカマ
  • 男たるものなら全員 1998 年に boy を捨てているので、いまさら「○○ボーイ」てのはないか…。発明ボーイ?のびのびボーイ?
  • もし今アメリカが日本の仮想敵国だったら、おれが COD:MW2 までたどり着けたかどうかおおいに疑問だ。おれにはまだまだオタとしての脚力が足りない。
  • 龍が如く」九州版が出るようなら、たぶんタイトルは「龍んごたる」とか「龍なごつ」とかそういうかんじ。
  • 区役所行ったら呼び出し番号が 893 番だった。ガイアがおれに「龍が如く」を買えと囁きかけている気がしてならない。
  • 神よりも先にクソはあった。そしてクソアニメよりも先にクソゲーがあった、つまり「クソ」「神」運用の先達をゲームだと考えれば、アニメにおける「クソ」「神」運用は、ゲームの場合の運用で考えればよい。
    • クソゲー神ゲーなどの称号は、もはや何らかの権威・代表や集合によって付与されるものではなく、あらかじめ個人にどちらかを定義付けられ、その判断自体が消費財としてコミュニティに提出される。コミュニティは作品自体、またそこに貼られた「神」「クソ」判断を消費する。
    • そういう末端の判断を咀嚼しつつ、ぼんやりと「なにがクソで何なら神か」みたいな基準は憶測できるような環境が整うけど、それが確定することは目的でないばかりか、コミュニケーションを終わらせる行為なので、なされることはない。こういうことだ、90 年代後半に「ゲーム批評」という雑誌名と共に、当時の若年層へ向けてゲームにおける批評という考え方が示された、それからしばらくして、そんな考え方やものの見方はかったるいんだよという感情の受け皿として、用語「クソゲー」が蔓延し、時代性を吸収しつつ定着していく、という流れ。いってみれば右手に「批評」を掲げつつ、左手で「クソゲー」を弄ぶというような相反を抱え込んだ気分は、ゲームアカデミズムみたいな真面目なノリとは(ある程度交錯しつつ、たぶん最終的に)溶け合うことがない。