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最近のインターネット

  • 会話上の引用効果のひとつは、ある特定の会話フレーズを引用することで、「いましている会話は、この有名対話の文脈と重なり、あるいは今後同様の流れに回収される。したがって、それを踏まえてそれ以外の文脈とのリンクや、この場でしか語り得ない文脈を意識して掬い上げて行こう」みたいなことだと思う。言い方を換えれば「いまの会話をベタに続けて行った場合の結論はここに予言されてるので、前提共有できているなら今後一連の会話手順を省略可能です。一緒に別のルート分岐を検討して、より幅のある会話を模索しましょう」みたいなかんじ。
  • wyoming incident 動画はいつ見てもボンヤリと怖い。
  • 「なう」って、使いこなすってほど使うのがむずかしい語尾ではないような…。
  • 2010 年にもなれば人格の擬人化など普通だが、いちいち自分と擬人化自分を比較して小言を言われるのは地獄かもな。
  • 東京十年ちょっとしか住んでないけど、降りたことのない山手線駅はない。
  • へえ、すごろくやは Twitter 割引が使えるのか(→http://sgrk.blog53.fc2.com/?no=1379)。
  • その場その場の自己正当化って大事なことだと思っているので、そういう振る舞いに問題があるとは全然思わないんだが、環境変わるたびに言ってることがコロコロ変わるひとの主張は読み流しがちだ。元々そうした発信は、どちらかといえば「いま困っている」「だからすぐに助けが必要だ」みたいな要救難カテゴリに入るから、「(自己申告は別として)どうサポート・ヘルプ・ケアすべきか」みたいな領域に入り、状況判断のための情報が重視され、主張の内容は最重視されない。内容検討に値する主張というのは、そのひとの環境や立場が変わっても一貫しているもので、つまり「そのひと自身がどうであろうと導き出される結論」として表出してくるもの、ということになる。が、その判断が属人性に依存してしまうのは、なんか脆弱性を含んでいるような気もする。それで構わないのは、基本的にインターネットがなくても我々は死なない、というおれのインターネットポリシーに拠っている。助かったら / 助けることができればラッキーだった、くらいのかんじが、ギリギリ成立している、かなあというかんじだ。