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好きな作品の作者のサインが欲しい心理関連

おれが好きな作家とかに会ってもサイン欲しいと思わない理由をかんたんに言えば「そんなことでスジ使うくらいなら、新作書いた疲れで腱鞘炎になってくれ」ということなので、ネットとかでいちいち細かくレスポンスを返す小説家をみる気分は複雑なものなのである。

  • だがおれに見えない視界によれば、そういうことをしていかねば作家が作家として立ち行かない時代になったのだ、という話であれば、致し方ないことでもあり、また、世界がそうなったことがでなく、そう見えていないというおれの現実によって、おれは悲しくもなる、が、これも致し方ない。
  • おれがその作家を好きになったのは、漠然と面に向かって投げかけた作品によってであり、おれが好きなその作家の表現というものは、カスタマーサービスとかじゃないので、わざわざおれのためにだけ何かしてもらっても別に嬉しくはないのだ。手近なことまで同じひとにしてもらわんでもいいっていうか。
  • 我ながら、どうもこれねじれてるような気もするんだが、しかし「好きな作家のサインもらってキャー」だって結構ねじれてんじゃねーか(≒錯覚を織り込んだメタな態度なんじゃねーか)という気もしていて、あんま考えてない。あるいは、それって「公に向けて意味のあることのできるひとを、一時的にでも私有できた」という感覚に近いんじゃないの。たぶん恋愛感情の捉えられ方にも似ている。
  • とすれば、おれにとっての恋愛を「おれにだけしてくれた何かがうれしかったときに、それをまたして欲しいと願う」というふうに裏返すことはできて、それって「自分を好きになってくれたひとを好きになる」という非モテ恋愛術と被るんだが、それは違うんだよね。なぜなら、「公に向けたときよりも、おれにだけ向けてくれたときのほうが、おれにとってハッピーであるなら、おれにだけしてほしいと願う」というのも自然だから。

で、作家についえいえば、そのひとがどこを向いていようが、それがカスタマーサービスでない限り、読者はそのひとの仕事を楽しんで享受することが出来るわけだから、独り占めを願う筋合いがない。やっぱ要らんよサインは。現実的には、サイン本って世間には有難がるひとが居るアイテムだから、もらっちゃうとなんだか悪い(ほかにそれをありがたいと思うひとが居るはずなのでそっちに回るべきだ)と思ってしまい、落ち着かなくなる。

とはいえ、サイン本てそれをもらったひとが「たった一度の忘れがたい体験」として、その後長期にわたって固定ファンで居てくれるかもしれないという、かかるコストのわりに堅調な将来へとつながる作家としての営業活動なのかもわからんので、なんとも。