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「(公式コンテンツなのに)同人誌みたい」関連

  • インターネットのアニメ感想などでたまに「(公式コンテンツなのに)同人誌みたい」っていう表現があるんだが、「同人誌みたい」って表現にあまりいいニュアンスがないかんじでバランス悪い。「同人誌みたい(だから良かった)」て感想は当然ありうるはずなんだが。
  • たとえば「咲 - saki」の団体戦は原作準拠として、個人戦は(原作にない追加エピソードで、その作り方が)同人誌みたいだった、という言い方があるとして、だとすれば、おれは個人戦は同人誌みたいだから良かったと思っているということになる。というか原作準拠の団体戦決勝が、あんま楽しくなかった。べつにそれだから悪いとかは全然思わないが、作品の(正しい)方向性とおれの(深夜アニメに期待する)ニーズは合いませんでしたね、というかんじ。
  • 天江の「場の流れを停滞させる」という超能力は、必然的に溜めて溜めて溜めて最後に開放というストーリー展開を既定するから、漫然と盛り上がりつづける深夜アニメ的多幸感の余地がない。「連夜の残業で疲れ果てたプログラマの脳にはカードキャプターさくらのほわほわ感が一撃で脳に染みわたる」みたいなエピソード向きのアニメでは、団体戦決勝時の「咲」はなかった。それを反転させたのが、全員攻め攻めの展開でスタンド能力発揮しまくる華のある殴り合いとしての個人戦で。個人戦の描き方には、原作準拠の団体戦決勝を受けての、アニメ版の持ち味はこれですという、スタッフの意思があると思う。
  • …いやそもそも、個人戦のノリが同人っぽいという表現におれは反対の立場で。なんでかっていうと「マルチメディア展開の一環としてゲームが作られた場合の、ゲーム版のシナリオっぽい」という表現が一番近いんじゃと思っているから。あの微妙に独自性は持たなきゃいけないけど原作を崩してもいけない(というかやんなくてもいいような部分で原作をトレースしてる)感。新キャラを一人追加、とかあまりに「はいはいマルチメディアでござい」というゲーム化ノリそのものすぎて泣けるじゃねえか。そういうパロディなのかよ。
  • しかも追加キャラクタの、原作キャラと比べたデザイン上の華のなさと線の少なさ、描かれる期間の短さからくるキャラ表現の堅さと薄味さ、あまりおもしろすぎると原作と後々設定衝突しかねないので、超能力もいまいち冴えない、なんかこのー、おまえ 90 年代の亡霊じゃろ?というかんじで嫌いじゃないよ南甫数絵。

というわけで 90 年代後半のマルチメディア展開ゲーシナリオの中途半端さは泣けるというあたりに落ちた。