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L さんと遊んだ

日付としては昨日。ひさしぶりに遊びますかということで、L さんと中野〜高円寺あたりを徘徊して遊んだ。おもしろかった。高円寺には本屋も CD 屋もなくて、でも古本屋や中古 CD 屋はあって、服は古着屋がいっぱいで、ようするに基本的に一旦使い古された文化が循環する街なのだというような話を聞いたりした。

高円寺 中野

雑多にいろいろ喋ったけど、ひとつ挙げればネットで見かけた不老不死の解釈についての違和感の話をした。コンピュータがいい具合に進化して人間に相当する脳とインターフェースを備えたとして、そこに自分のデータをコピーしたら不老不死完成、みたいな言説をみて、これはちょっと怖いなと思ったのだ。だってほら仮に自分の完全コピーが出来たとしても、生身のほうの自分が死んだらやっぱりそれは不老不死じゃなくね?ていう。これはつまり「自分」というものがどっち側から観測されるのか、という解釈の違いだよな。

「自分の完全コピーがあれば、生身の自分が死んでも自分が死んだことにはならない」てのは、自己は他者に認められることによって存在する、という考え方だ。であれば、完全コピーが自己としてそこで振る舞い続けるかぎり、生身の死後にも「自分がそこに居る」という状態を維持できる、はずだ、という話。で、「自己を自認することによって存在する」側からいえば、完全コピーは「自分と完全に同じ他者」でしかなく、そいつが生き続けててもおれが死んだらおしまいだ、という話に。おれの死後、おれのコピーロボットがうどんを食ったとして、そこに生じる「美味い」という感情が「おれ」のものだ、と感じることがおれにはできない。ドッペルゲンガーが自分に成り代わる系の話が大概恐怖として語られることからも、完全コピーを作って「自分と同じなら自分だ、やったー不死身完成ー」というのは充分ホラーな台詞だと思う。もちろんそういうことわかったうえでの(だいぶ文脈は違うけど、ある意味 Twitter 界隈での自称変態アピールとかに近い)ジョークの一種なのだろうけど、おれはちょっとそっち側には行けんわーというキャズムの深淵を覗いた気分になった。

真面目に考え込んでみるなら、たぶん「自分の完全コピーを作って不老不死完成」て叫ぶシチュエーションがあるとすれば、たぶんそれは余程の社会的成功を収めた老人とかの台詞だと思うんだよね。一代でワンマンで成り上がって巨万の富とかを築いちゃったけど二代目に恵まれず、ええい自分もういい加減老いぼれて死んじまうんだけど、このウンザリするほど積みあがってる財産と人脈の運用どうすんだよ誰にも任せられねーよ、みたいな状態に陥ってるひと。誰にも任せられないんだから、死んだあとでも自分でやるしかないという話になって、死後のことは任せたぞコンピュータおれ、とか遺言して大往生。激動する時代の変化にどうにかこうにか食い下がり、不老不死のコンピュータ大富豪はその後数百年かけてじいさんの遺産を世のためひとのためにグルグル回して使い切り、最後の月の自分の電気代の支払いまでやり終えてひっそりと機能を停止しました、みたいな美談。

あるいは世界の半分くらい統治してる大帝国の皇帝とかが「うーん、でもおれが死んで、家臣も死んで、領民たちも死んで、世代が四交代くらいしたら、いませっかくグレートなおれの最強伝説とか忘れられちゃうんでしょ。それイヤだから、おれが死んでもおれの全権委任したおれの完全コピーが帝国統治するんでヨロシク」みたいなことを思いつくケース。得た名声が大きいほど、それをなるべく長い時間語り継いでほいって思いは強くなるだろうし。地方の名士レベルですら記念碑とか銅像とか作ってボクハココニイルヨ活動に余念ないしなー。死後も生き続けてその偉大っぷりを(しかも同時代に対して実効的に)示し続けることができるのだとすれば、そりゃ権力者垂涎かもだね。とはいっても、永遠に権力をめぐって戦い続けるのだとすれば、常時同時代の権力者との競争に晒され続けるということだから、そこでプレゼンスを保ち続けるのってだいぶ難しそうだね。数百年後とかに「いやーあいつ大昔はすごかったらしいけど、いまの優秀な連中と比べると大したことないよね、だいいち野蛮だし」とか悪評くらったりすることになるのかもしれん。いっそ素直に死んで巨大な古墳とかだけ残していればよかったのかもしれん。とかなんとか。

そのほか。

  • なみすけ

杉並区のマスコットキャラクタである「なみすけ」(http://www2.city.suginami.tokyo.jp/guide/guide.asp?n1=150&n2=200&n3=100)は可愛いのだけど、わけてもこの「NO!」という拒否のポーズの愛らしさは異常。

  • なカラテ

中野 - 高円寺といえば避けて通れない「カラテ」。

行くあてもないのでなんとなく立ち寄った中野 ZERO ホール脇の公園で、遊んでいた少年が遊具にまたがった拍子に放った長く間の抜けたおなら音が、その日最高のヒットだった。実時間で一週間以上経ってるいまでもその音脳内アンプで再生できる。あまりにおもしろかったので L さん共々腹抱えてゲラゲラ笑った。真昼間から。中年の変な身体のおっさん二人が。