matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

最近のインターネット

  • この夏、結局横浜のラ・マシンもお台場のラ・ガンダムも見ず仕舞いだった。
  • お台場ガンダムは、少年がおじさんから「今日は秘密工場の見学に連れて行ってやる」と言われて行って、「今日は特別公開なんだ」「あのガンダムは空は飛ぶタイプじゃない」「勉強して免許一杯取らなきゃガンダムには乗せて貰えないぞ。宇宙飛行免許も必要だ」とか嘘を散々吹き込まれるのがベストだとおもう。
  • 善意と善行は違うので、「ぼくは善意の人間であり悪意はなかった。したがって、ぼくの善意から出発した悪行は許されるべきだ」というのは通らんよな。とはいえ、それをいうなら悪行から悪意を見出す心理も抑圧しないことにはアンフェアで。
    • というか善行は善意から出発しているとは限らないし、ひねくれると善意はむしろ善行につながりづらいような気さえするわけなんだが(善意が善行につながる状況の美しさは、第一に確率的なレアさに保障される)、とりあえず教育としては、善良であることや、善意を持つことが推奨される。これって受け手教育だよな。
    • 「いい人間とだけ付き合うより、いいとは限らない人間とも付き合ったほうが全体的にマシである」という話を噛ませて精神安定するしかないか。
  • 頭悪いひとを煽動してるのは頭いいひとなんじゃなくて、頭悪いからこそ頭悪いひとと響き合ってしまうっていう普通の現象が過小評価されがちな現場ってある気がするんだよなインターネット。なんかこう、馬鹿にわかるように説明できて一人前みたいな話はあるけど、そういうのと筋がちがう状況ってわりとあるし。あとそれ理想だからハードル高めだし。
    • 噛み砕いたら冗長になりすぎるケースのほうが多いとは思うけど、「本当に難しいことは噛み砕いたら説明できない」という領域は確かに存在すると思うんだよな。理解できるよう平易化する、ことが困難なら、理解できるよう底上げする、という思考になるが、啓蒙とか言い出すとウゼエ問題になっちゃうか。
    • どのみち頭いいひとのことはわからんものな。わかろうとしても、結局そのひとのなかの自分と同レベルな部分を探して、そこで共感を補充しようとしてしまう。
    • そういうのと別に(いや違うのに同じ領域で働いてしまう作用として)、「人生のなかでわかるべきことはいずれ自分でも理解できるようになるんだろう」とかいう漠然とした感覚があるので、先人の知恵が詰まった本とかで知識を補充するのは「そりゃチートだろ」とおれのゴーストが囁く。もっとも、そんなんだからわかったときには手遅れの連続で。手遅れなら手遅れで「そういう人生だった」ということに結果としては落ち着くし。うーん。だがそれは背負いたくない、という気分への同情は必要か。