matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

最近のアニメ - けいおん!関連

最終回も終わって最終回のあとの番外編も終わって、TV アニメも 2Q に移行しようとしているんだがひきつづきケイオン。こないだ書いとこうと思って脱線したのは、ドラムとベースの喧嘩回の微妙な空気感のことだった。あれいいね。いや格別いいもんではないし、イベント性は低きをもって尊しとなす的なアレだし、ああいうものをわざわざ描く部分にあざとさとか勘繰りビリティみたいなものを覚えなくはないんだけど、せっかくだからアニメで見といてよかったという気分のほうが大きい。喧嘩っていうか、喧嘩というほどのことでもない微妙なクラスタ齟齬から生じる温度差、により発生する気象現象、まさに空気。子供の喧嘩は往々にして「いつはじまったのかわからないけど、なんとなくこの時点で仲直りした」「昨日絶交して別れたんだけど、今日はなんとなく一緒に遊んでいる」みたいなかんじで、始点と終点いずれかのイベント性がテキトーだったりするわけで(どっちもはっきりしていないコンフリクトもあるけど、そうなるともはや喧嘩としては当事者にも認識されず、単に「合わないかも」みたいな扱いに)、まさに「あるあるこのかんじ」と腑に落ちるエピソードだった。

前後していくつか萌え四コマカテゴリの漫画を読む機会があって、うーんやっぱおれにはわからんことのほうが多いわ、当事者意識を持つためには時代の空気を吸わねばなるまいよ、というかんじで相変わらず腰が引けていたのだけど、この回見ながら「四コマ漫画って感情表現も四コマサイズなんだよなー」と考えていたことを思い出した。大上段に振りかぶったエモーショナル演出には向いていないのか、たまたま四コマ漫画においてそれを描こうとするひとが少ないのか。まあ深く湧き上がる感動みたいなものを描いてるんだけどおれがそれを読み取れないって場合もありそうだが、どっちかっていうとギャグたまに人情、みたいなものが王道といえそう。まあこれは単に、あずまきよひこあずまんが大王」の三巻で、あずま氏がちょっと感動的なことにリーチしようとしてるように感じたけど、これは届いてこない気がするなー確かにキャラは感動してるんだろうけど、それ読んでるおれに伝染するエモーションではないなと発刊当時思った→その後「よつばと!」が出て四コマじゃなくなったので、あーやっぱああしたことをやろうとするには四コマでは不向きなのかなと思った、という順番で印象付けられてるだけなのかもだ。

といっても、アニメケイオン喧嘩回のノリが四コマ漫画的だと思ったってことではなくて、なんかこれは四コマとも違う別カテゴリの細かいなにかだろうという気がしたけど、ともあれ、大きいけど大雑把なイベント管理で進行するだけの話ではないものがいまどきにはいっぱいあって、今後もオタシーンは豊かに腐っていくのだろうかなと思ったりした。このてのじんわりした感情を拾いながら、大きな流れにつなげていくような作品も見れると嬉しいんだけど。