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最近のインターネット

  • 2ch とかに「絶対観るべき○○」とか「オススメの○○を書いていけ」みたいなかんじでジャンル内での自分のお気に入りをリストアップしていくスレッドがあるそうなんだが、それを駆動させるものって多分ブログや SNS における「◯◯への百の質問」とか「◯◯バトン」などと同じだよな。ただ匿名コミュニティだと個人に紐解かないから、漂う凧みたいになっちゃうだけで。というより、アクセサリを並べ立てたい欲求って名前を捨ててもついて回るんだなと、興味深く感じた。
    • ジャンルを俯瞰したオールタイムベストを決めよう的な枯れた態度でもなく、「おれが感動したからこの作品は神」的な基準でセレクトした作品群で自意識を着飾る態度は、プロフィール系サイトとか SNS とかブログとか、発信が ID に紐付くところでなら意味があるけどもなー、みたいな。
    • つまりこれって「名前を持たないもの」としてのロールプレイからは外れた行動で。顕名者としての RP だよな、匿名空間で発信してしまっているために、名前が抜け落ちてしまっているだけで。匿名コミュニティの二つの性格、「匿名というキャラクタを演じに行く場所」「顕名者としてのロールプレイから一時的に離脱できる場所」の狭間に、「自分にいま名前があるのかどうかを気にする感覚や、名前がない場合の振る舞いについての想像力が希薄な、本能的な勇者タイプ」を浮かび上がらせている。
    • むかし「2ch とそれ以外」だけでわりあい個人インターネットが完結していたような頃、「2ch 以外の場所でも 2ch 的な振る舞いしかできないひとたち(具体的には 2ch 以外の掲示板とかでも 2ch 語が抜けない人々とか)」が批判されがちだったりしたわけなんだけど、あれの逆パターンというか。2ch においても非 2ch 的な感覚が抜けない人々。社会生活においては名前がない状態ってあんまりないわけだから、まあそれがふつうの感覚ってやつではあるのだけど。
    • 2ch が十分に巨大になったあとの 2000 年前半、ネットに新規参入してくる若年層にとって「インターネット= 2ch」みたいな感覚がたぶんあったんじゃないだろうかという想像があって、つまり「はじめてインターネットに触れる頃、同年代の皆がハマっていたのが 2ch であったために、自分も自然と(なんとなく)最初に触れるメディアとして 2ch を選択し、「インターネットとはこのようなものだ」という基礎感覚を 2ch の中で培った」みたいな、いはゆる「2ch で物心つけた人々」問題というやつだが(2000 年代後半はそのような人々が如何にして 2ch 以外の場所へ拡散していくか、というのも観測テーマのひとつだった)、↑で観測できるような「匿名なのに匿名としての RP をしていないひと」って、なんか 2ch ネイティブみたいな話とはもうちょっと違って、最初にぱどタウンとかモバゲーとか SNS 的なサービスに触れて「インターネットとはこのようなものだ」という基礎感覚を養ったあとから 2ch に合流していったひとたちなんじゃねーか的な想像とかも。いやそんな大仕掛けではなく、単に自意識が滾っているエネルギッシュなひとはどこにでも居ますよねというだけなのかも。
    • そのような「システム(機能)としての 2ch」から「コミュニティ(場所)としての 2ch」という捉えられ方の変化は、2ch で物心をつけた世代が準備したのだろうとは言える、だろう。か。
  • 「ちょっと暑いだろ」と思ったので水シャワーを浴びてみたんだが、いやー、ちょっと早まったね。
    • ちなみに現代日本語では「早まった」には三つの用法があって、1:時期尚早なのに判断を誤った、2:高速化した(対義語は「遅まった」)、3:「早かった」の訛り的表現(出展はペコ)。で、これは 3 の用例。とかいってガイジンを混乱に陥れる。
  • 2ch で「特ア」というと特定アジアという意味になり、なんかナショナリズムで揉めているという印象になるが、自アンで「特ア」といえば特撮アニメ感想箱の略称で、アニメキャラのおぱんつが見えたかどうかで揉めている。