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しあわせ拾い

おれの他人に対する視線というのは基本的に「おれ自身は、まあイマイチなんだが、おまえがそれなりによろしくやってくれているならそれは良いことだ、よかったよかった」であり、この態度は相手が現実だろうとアニメ漫画ゲームだろうと変わらない。以前書いたが(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070303#p1)、おれの幸福というのは、手元に眩しいものをかき集める行為ではなく、おれを含んだ情報系の総体が全体的に明るいことであって、その光量がおれ自身を覆い隠すほど眩しいなら、それに越したことはない。なぜそんなふうに考えるようになったのかを考える材料はいくつかあって、たぶんこういう順番でこうなったら…みたいな漠然とした自己形成地図はだいたい出来てるんだが省略。ともあれ近年、世の中が全体的に暗めになってきてるかんじなのは結構困る。経年劣化でひとは衰えていくものとしても、それ以上に手強いやつだよ世界恐慌。もうちょっとなんとかならんのか。がんばれ世の中。おまえらが幸福ならおれも幸福だよ。それをおれは願っている。とはいっても、おまえらの幸福そのものはおまえら自身のものであるから、おれは手伝わん。まあ勝手になんとかしてくれ。おれという存在は、ようするに鰻屋から出る煙を嗅ぎつつごはんを食って、それで鰻丼食った気になって満足しようというアレに近い。なんとかなってくれんものかな。

とはいいつつ、「よろしくやってんな」の基準がだんだん大雑把になってきている部分もあって、とりあえず死んだり大病を患ったりしていないならいいか的な気分も芽生えつつある。幼い頃、父方の祖父はおれが転んだり塀から落ちたりするたび心配したものだったが、祖母はおれが近所の草っ原で遊んで怪我をして、血まみれになって帰ってきたときもニコニコと縁側のソファに座っていた。いずれおれもあの境地に行くんだろうかなー、まあおれの場合には、縁側でニコニコ座っていられる状態には行かない気がするから、別のアプローチで別のところに行くんだろうけど。