そういやアニメって基本的にスローモーションが楽しくないんだな
こないだのアニオタ OFF 会(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20090411#p2)での話を思い出したので書いとく。
- 実写や 3DCG のアクション映画などでスローモーション演出って珍しくなくなったばかりか、そろそろ表面張力オーバーだろというくらい多用されてしまっているが、手描きアニメーションではあんまスローモーションによるアクションシーンて一般化しないよな、という話をした。
- おれの場合でいうと「300」がスローモーション映画すぎて、おもしろいんだけどなんだかなー的な気分になったりした(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070609#p3)なー。最近の映画でいうと「Watchmen」がやっぱり全編スローモーション映画らしい。スロー部分も通常速度に戻したら 45 分くらいの OVA サイズに収まるんじゃねーの系作品の系譜。
- INNOCENCE でスローアクションシーンあったよ、という指摘はあったけど、あれも 3DCG アシステッド環境としてだしなー。どっちかといえば「スローな実写映像に対する視聴熟練度の上がった視聴者に対する錯覚誘導技法」として導入されているかんじがする。
- で、なんでそうなるのかをざっとメモ。
- 実写の映像は、スローモーションにすることで情報量が上がる。炎のゆらめき、筋肉の緊張と弛緩、飛び散る火花、顔のシワの変化、などなど、ようするに「普通に撮ってたら / 見ていたら、抜け落ちたはずの細部の情報」がわかりやすく画面に載るので、じっくり観察することが可能になる。
- もちろん「おれはべつに映画を「観察」したくて見てるんじゃねえんだ、普通に見せやがれ」みたいな揺り戻しはたぶん来る。というかよく知らんが「PROFONDO ROSSO(サスペリア 2)」みたいな映画(←話の途中で真犯人の顔が画面に一瞬映るので、速いアニメとか見慣れてるひとは終わりまで見なくても「あ、犯人こいつじゃん」とわかる仕掛け)に対する反動としての意味もあんのかなーと思ったりはする>スロー映画。
- 実写を補完する役割としての 3DCG は、テクノロジの進歩と共にのっかる情報量が膨大になり、どうかすれば実写を超える情報量にも到達しうる。
- アニメの場合は、元の光景にある情報量のうち要らないものを省略(見せたいものを抽出)した姿なので、べつにスローモーションにしたって情報量が上がるわけじゃない。というか上げることに意味がない。どちらかといえばアニメの武器は動きの省略やコントロールポイントのクセなどに感じられる手作業感なので、もともと昨今スローモーション全盛な CG アクションとはほぼ逆方向を向いてる。
- アニメータなくしてアニメーションなし、ということか。実写においても「カメラマンなくして映像なし」ではあると思いつつも(どっちかといえば業界成熟度の低さからか、デザイン勘のありなしと関係なく出力されてきた「なんでこうなってるのかよくわからない映像」に出くわす確率が高いのはアニメでも実写でもなく CG な気もする)、アニメの場合にはそれがもうちょっとプリミティブに浸透していると。
- 実写の映像は、スローモーションにすることで情報量が上がる。炎のゆらめき、筋肉の緊張と弛緩、飛び散る火花、顔のシワの変化、などなど、ようするに「普通に撮ってたら / 見ていたら、抜け落ちたはずの細部の情報」がわかりやすく画面に載るので、じっくり観察することが可能になる。
とかなんとか。「アニメでスローモーションがおもしろい」てのは、だからちょっとへんな使い方がされてる場面になるだろう。