最近の漫画 - 帯をギュッとね!関連
ゲーム、アニメときて、つぎは漫画かなという気分があったので、いよいよ河合克敏「帯をギュッとね!」読み始めた。帯ギュのことは、週刊少年ジャンプの井上雄彦「SLUMDANK」、週刊少年マガジンの森川ジョージ「はじめの一歩」と並んで、おれが 90 年代「練習して強くなるリアリティ」系漫画のビッグスリーだと思っていて(いや、その中で「はじめの一歩」は 2010 年代に差し掛かろうとする現在も連載中で、もうそろそろ鉄拳チンミカテゴリなのかなという気がしないでもないのだが)、連載当時も読んでたし、思い入れもある。好きな漫画のひとつだ。再読については約 1.25 年ごしの宿題ということになるか(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20071218#p1)。
「練習して強くなるリアリティ」系についてもうちょっと書いておくと、
- ひとが空を飛ばない、気弾が出ない、作品内時空間が安定している(時間停止・時間移動以外に「1 日 30 時間のトレーニング」等も含む)、拳でコンクリート壁等を破壊しない(ドラゴンボール、グラップラー刃牙、テニスの王子様などは NG)。
- トレーニングで強くなる。
- トレーニング方法に「練習風景が日常に溶け込んでいるかんじ」「(最初のうちは)これならおれにもできそう」「確かにこれをやれば強くなりそう」みたいな説得力がある。
- トレーニング方法の改善や、段階を踏んでのメニュー変更等が、リアリティの強化・キャラクタの成長の両面で効果的に演出されている。
- ほぼ読者目線から出発し、段階 n から段階 n+1 へのシフトをリアリティによって接着されながら、成長を重ねていったキャラクタは、連載の長期化に伴い「1+1+1+1+1+1+1+1 …」みたいな足し算の果てに、「ちょっと人間業とは思えないことをやり遂げてしまう」ところまで成長する、といううねりのダイナミズム感。
- やり込んだ人間は実際にそこまで強いものなのか、あるいは積み上げられたリアリティの全体像が嘘を形作るところまでいったのか、というバランスの危うさ、というと少し違って、「練習の説得力」と「ちょっと信じがたい強さ」は、両方ともが積み重ねたページ数の量によって保障されていて、どちらもまったく強固で危うくないのだが、それを信じてもよいのか、あるいは疑念の楔を打ち込んでよいものかという躊躇いが読者の気分として立ち上がって、それがゆえに、なにかその漫画から放出されている更なる高みを幻視することになる、みたいな…。
- 「練習して強くなるリアリティ」系以外の少年漫画の場合、「人間業とは思えないようなこと」が自然科学的な限界を突破することによって描かれがちなのに対して、「練習して強くなるリアリティ」系の場合は、基本的に「人間相手に、人間業とは思えないことを成し遂げる」という線引きで、リアリティ感の崖っぷちで半足残しているかんじ。
とかなんとか。練習して強くなる系とはいっても、そこではリアルさこそが重視されているわけではなくて、ただし、リアルなものとリアルでないものの交錯は、リアルなものを描かなければ成り立たないということなんじゃないか、あるいは、リアルなものを描こうとする意志から出発しても、リアルでないものを錯覚させてしまう技術に到達してしまうのではないか、という気がする、というようなことを思ったりしていた。
- で、読んでるけどものすごくいいね。スラダンや一歩を脳裏に置いて読むと、さすが週刊少年サンデー連載のスポーツ漫画だなというかんじに受け取れる。リアリティ感、シャープさ、突き抜けるのかと思ったらスッと戻ってくるかんじ、とにかく高校生部活漫画としてバランスが良いんだ。河合克敏氏はこういう漫画を描くひとなのだよな。
- 女キャラがかわいいのもいいにゃー。近藤さんも海老塚さんも袴田さんもいい。というか今おれはなぜ漫画キャラ相手にさん付けなんだ。やっこちゃんをやっことは呼べない問題だ。そうさせるだけの空気感が紙面から吹き付けてくるのだ。おそるべし帯ギュ。
後日につづく。