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駅前歩いてて TSUTAYA とか BOOK OFF とか発見すると「あー」ってなる感覚関連

関連して(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080904#p2)。なんでこれが「あー」なのかというと、まあなんといいようもないから「あー」と表現するしかないからなのだが、もうちょっと強めに噛み砕いてみると、たぶん「おれと関係ないなー」「関係がないのは残念なことだなー」「だけどそれはごく自然なことだなー」「それに、関係あることが多すぎれば困るしなー」みたいな感覚になる。独立系の店が賑わってる駅前商店街は、言ってみれば「個性的」ということで、それが魅力的に感じられるかどうかはともかくとして、味があるということになり、観光のし甲斐がある。けどチェーン店ばかりだと「それにはそれなりの固有性があるにしても、ほかでも体験できそうだな」で片付くという。

ただ、駅前商店街がチェーン店ばかりであることにはそれなりの経緯や諸般の事情があって、どうであれ現在の光景が住民の生活を形作り、また連続した住人の生活が駅前商店街の光景を形作ってきたわけだ。あるいは大規模量販店の進出への反対運動とかがあったり、またはシャッター街をどうにかするべく再開発が行われたりしたのかもしれないが、おれはそれらの当事者ではなく、今後もそうなることはない。「サイトをざーっと見ていて「スイーツ(笑)」とか「マスゴミ」みたいな文字列を発見すると「あー」ってなる」のもそういうことで、このサイトは多分おれにとって興味深くはないのだろうなと思いつつ、しかしそのありさまは、サイト管理者のひとが選択した「彼にとっての自然さ、生きやすさ、(吸収できる赤字範囲内での)関心の方向のあらわれ」なのだから、そこに立ち入る筋合いのない側の人間が抱く感情は「あー」以上のものにならない。おれの脳内駅前商店街にもチェーン店はいっぱい並んでいるし、それはたぶん他人にとって興味深い光景ではないが、それがおれの生活の自然さであり、選択された現在だ。観光者としての自意識を剥き出しにして、生活者としての自分を顧みなくなると、web 日記者として長続きはしない。長生きの知恵のひとつかもしれない。

自転車とかで近所や遠方に散歩するとき、どういう場所にでもひとの暮らしがあり、これまで一度も通ったことがなかった場所にも市街地がひろがっているという当たり前のことが、事実として目前に展開してゆくことには、ピュアな感動や興奮があると思う。これから先も知り合うことがないのであろう無数の他人の、その現在進行形の痕跡を確かめる行為というか。まあ、毎日そういうモードではネット巡回をできるわけでもないというのが問題なのかもしれないが。