matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

個体認識関連

話があっち行ったりこっち行ったりしたけど、一応メモ。

  • 昔、とある掲示板の OFF 会に参加したとき、「自分の存在はコミュニティの中で認知されているもの」として振る舞ってるひとが居るんだけど周囲はあんまそのひとのことを知らなくて戸惑ってる、みたいな状況があった。おれは元々あんま多くのひとを知らない人間なので「よく知らんけど有名なひとなのかなー」とか思って流してたんだけど、二次会で「ところであのひと誰?」みたいなかんじでみんな首をかしげていたという。
  • OFF 会から帰って掲示板のログを掘ってみたら、確かにそんなハンドルのひとが居て、「ああ、このひとだったのか」と納得したのだけど、特に個体認識する必要があるほどアクティブでもユニークでもないんだよなーという。暮らしのうえでも「人付き合いの中で、A さんと自分とで、持ち合う互いの情報量が不均衡になる」て状況はよくあるけど、ネットの場合その不均衡が極端になりがちで。ようは「相手を観測するためには相手からも観測可能の距離に近付く必要がある」という仕様上、暮らしのうえでの不均衡はある程度是正機会を持つんだけど、ネットの場合発信された情報(のうち、評価される情報)だけが共有され、それ以外は「存在しないもの」としてしか扱われない、といういつもの話なのだけど、そこに更に「どの程度の質量の発信をすれば、相手から認知してもらえるのか」のジャッジが不適正だと、やっぱり空滑りするということなのかもなーと思ったりした。
  • じゃあどうすればいいのかというと、「相手が自分を個体認識しているようだと判断したとき以外、自分の情報は基本的に知られていないという前提で世間話をしていればいい」ということになる。自分がどういう人間なのかを相手が理解しているか、また相手がどういう人間なのか自分が理解しているか否かで、与太話の仕方というのは変わってくるものだけど、知らないひと同士で与太話ができないわけではなくて、おしゃべりの楽しさの質もそれほどには変わらない。話がおもしろかったら自然と個体認識することになるし、つまんなかったらつまんなかったでそういう記憶経験値が貯まる。
  • 「アウェーの OFF 会はきつい」とはよく言うんだけど、その具体例として挙げがちの大規模 OFF 会とかって、ようするに「自分があまり興味を持っていないひとが大量に居る OFF 会」なんだよね。そこで行われるのは必然的に「売り込みの乱取り」みたいなものになるから、ただその場に居るだけでも気疲れするし、事前に根回しをしておいたり、またはよほどうまくマッチングが決まらないと、いきなり飛び込んで楽しむのはむずかしい。
  • 初心者が「とりあえず観光してみる」目的で参加する OFF 会の最低限の楽しさの保障は「自分が興味を持っている参加者が居るかどうか」で決まり、自分がほかの参加者に認知されているかどうかはあまり関係ないと思っている。興味のあるジャンル、テーマの OFF 会なら相手が誰でも大丈夫、というのはありがちの錯覚で、ネット上ではともかく OFF 会では(あたりまえだが)属人性も主要素のひとつとして勘定すべきだ。「自分が他者から認知されていなければ楽しめない」というのはかなり高いレベルの要求といえて、たぶんがんばって社交をやらないと、上で書いたような一人相撲で終わる。もちろん「互いによく知る同士で集まって、ネットでの遣り取りを相互補完する小規模 OFF 会」が最も手堅いんだけど、そんな人間関係なんてそう広く持てるものじゃない(←それができるよーな陽性のライフハッカーは大規模 OFF とかバンバン出ても平気な神経をしている)。

まとまってないけど、

  1. 「知ってるひとと楽しくおしゃべりする(または知ってるひと同士の会話を楽しく聞く)」はそれほどむずかしくない。
  2. よく知らない相手から話しかけられた場合でも、話題が主で話者が従なら、話を合わせるのはむずかしくない。
  3. したがって、1 と 2 の共犯関係が崩れないかぎり、「よく知られているひとが居る OFF 会に、よく知られていないひとが参加して、楽しく過ごす」のはむずかしくない。
  4. しかし、自分のことをよく知らない相手に、話者が主で話題が従というアプローチで話を仕掛けると、うまく噛みあわず空転する。

とかなんとか。