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ゲーム帝国の残照

世界消失関連(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080813#p2)は新しい話題ではないので、その感覚についてどう落ち着いたものか長いことウダウダやってるわけなんだけど、おれにとって身近な家庭用ゲーム界隈の場合でいうと、… 2005 年あたりから徐々に見えなくなっていったかんじだ。そこから加速的にゲームエゴイズムへ退却していくことになるが、世界消失とエゴイズムのどちらが先だったかというと、たぶんゲームエゴイズムの下準備は初代 XBOX の頃にはできてたよな。それでいうと、マーケットシェアでゲームを語る勢力のライジングは順番的にもっと前からで、さらにいえば、じつはこの「マーケットシェアでゲームを語る人々」を、ゲームの場合でいえば「世界を見失うまいとしている勢力」の先鋒として、いまとなっては捉えることが可能だったりもする。いわば、シェア論者とエゴイストが両極端の役割になってるわけだな。とはいえシェア論の動向は世界消失前のドクトリンで組み上げられているために、「大きなひとつのテーブルで全部を競合させる」というやり方が効力を失っている現在にうまく対応できている派閥が多数とはいえない。言い換えると、「いまだからこそ役に立つ勢力、と目することが可能になったときにはハシゴが外れかかっている」ってかんじ。世の中うまい具合にはいかない。

あとまあ、大勢を語ることと現場を語ることの中間を埋める努力はどのみち各人の為すべきことだけど、それを補助する教育がいまのところ不足気味。往年に名をはせたような理論武装商人たちは主にシェア論争で活躍したので、個別の生き残りに使える有効な戦術を編み出すことができていないというかんじなのかなー。とかなんとか。