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店員に「ありがとう」というのは是か非か問題

ずいぶん前にネットで話題になった話だけど。溜まっているモヤモヤしたものをいっこずつ片付けていく意味でも書き出し。

学生時代おれがコンビニのバイト店員やってた頃のことなど想定すると、客から「ありがとう」と言われたら、ちょっといやかなーという気分はある。別に言われてムカつくとかではなくて、戸惑う。バイト中の自分の行動に対して他人が感謝の言葉を発するという状況に対するものではなくて、その言葉によって立場を自覚させられることによる戸惑いだ。というあたりのニュアンスは伝えづらいものとしてたぶんある。

「ありがとう」って言われちゃうと、それを言われる自分は人間であった、ということを思い出しちゃうわけなんだよね。でもバイトやりこんでる最中て自分が人間だという意識が希薄というか。バイト中の意識では、今自分は人間じゃなくてロボットをやっているんだ的な状態が多いわけよ。ダラけた自由人ではなく、アルバイターという社会の歯車的ななにか。遊ぶ金欲しさにとか、生活費がどう勘定してみても足りないとか、理由はいろいろあるけど、至る心境はだいたい一緒。バイトロボ気分。時給労働マシーン気取り。機械にサービスされても人間は同格の他人としてそれを見ないから、バイト中の自分が「ありがとう」とか感謝されるってシチュエーションは想定外なんだよね基本的に。でもそれを言われる。言われれば、じゃあやっぱりおれはロボじゃなくて人間だったよという話になる。実際ロボじゃないし。ロボのふりをしてるだけで。

でも、じゃあなんでロボのふりをしているんだという、そこにはそれなりの理由があったわけだから、客に「ありがとう」って言われるのはペース乱されるのでわりと迷惑というか、せっかくロボとして仕事に対して自分をオプティマイズしたのに、やっぱり人間づらに戻して個別の客に対してカスタマーサービスせないかんのですか的な面倒くささを感じてしまうわけだ。細かく噛み砕くと、

  • ユニークな技能とか柔軟性とかを見込まれて「自分が」求人された場合でなく、現場作業項目に対して「それを処理する誰か」として求人された職場では、能力は作業要求に対する達成度で評価される。おおまかな「人間性の評価」とかも後々には影響してくるが、それはとりあえず目の前のタスクを安定してこなせるようになってからの話。
  • 人間は誰でも曖昧に様々なスペックを持っているものだが、「そのての労働者としての自己」においては、作業に不要なスペックは欄外になるので、曖昧さはほとんどないものとなる。まあ当然職場の雰囲気は大事なので、べつに非人間的な態度で仕事すべし的なアレでは全然ないのだが、結局なんのためにそこにいるのかというと、金をもらうために時間単位の労働力を売りにきているわけだから、要求されている作業に対して自分の曖昧なスペックを動員してどの程度明確な結果を出していくか、というやりこみの問題に落ちる。
  • そこにさらにフランチャイズ的なものとか全国どこでも均質なサービスをご提供的な話が加わってくると、作業のマニュアルも詳細になってくるし、より具体的なゲーム的やりこみの世界になってくる。どう仕様いじってもいいから結果を出せみたいな自由裁量が狭まり、というかサービス均質化のためこの方法以外では処理してはいけませんみたいな話になっていくわけなので、細かいレギュレーションの下でのスコア追求に燃える、みたいな世界。
  • …となれば、自然とオプティマイズしていくわけだ。守るべきはレギュレーション。サービス品質を保ち、ストローク数を減らし、ついでに消費カロリーも少なく、スピードと正確性を上げ、もちろんカウンター業務であるからダラけているように見えては元も子もなく、またお客さんを慌てさせてしまうほど手早すぎてもいけず、ほどよさの中での手順最適化。やりこめばやりこむほど、工業ロボットと介護ロボットのあいのこみたいになっていくわけなんだよねこれ。昭和日本の教育は優秀なブルーカラーっていうかライン作業者を生み出すためにあったのだ的な説にうなずきたくもなる。そういうことやってると楽しい自分を発見すると、うまい具合に教育されたものだなと感心する。
  • あとバイトに際する自分の基本的な欲望が「金が欲しい」で、「この仕事こそをやりたい」ではないというのは材料として大きい。もうちょっと具体的には「ゲームがやりたい」とかだったりして、そのためには金が要る、のでバイト、という順番でアルバイトやってるわけだ。だからバイトは働ける範囲の条件内で賃金がよければなんでもよかった。店側は「この仕事してくれるなら誰でもいい」から出発、おれ側は「金もらえるならどこで働いてもいい」から出発と、互いに特に思い入れあっての出会いではないという。欲望の合致するところに「本当の自分」的なものを見出したいという、これも欲望というかな。自分の自分らしさ的なものをここで発揮する必要はないし、そんなことやっても見返りは少なそうだし、というかへんな自意識は邪魔にしかならない、となれば、バイト用のキャラ作って適当に処理するほうが心理的ラクだ。というあたりで何が参考になるかといえば、電子立国にっぽんを支えるライン作業用のロボット、というあたり。
  • …で、そういう状態にまで高まってるときに「ありがとう」と言われるとだいぶテンション引き戻されるんだよね。その状態で受ける「ありがとう」という言葉は、「ロボットのふりをやめて人間としてバイトしろ」と翻訳されるわけだ。でもねー人間としてバイトするのには自由裁量が少ないわけよマニュアルとかいっぱいあって。せっかく組み上げたハメパターンを白紙に戻して柔軟性織り込んだ対戦に、心理的なモードを移さなきゃいけないし。そしてそれをやるほどには多様性のある業務ではない。じゃあやっぱロボのほうがいい。でもおれはロボじゃない。だがロボのほうがラク。けど人間。でもロボでいたい。だがおまえは人間だという声がする。セカイが!セカイが押し寄せてくる!紋章の浮き出た右手の甲に眠る邪龍が目覚めるので右手首を左手で握り締めないと!…ていうかまあテンション戻すけど人間としてフルスペックでエンジン空吹かしギア空回りさせながら緊張状態で働いてもきついだけっていうか、ロボとしてマニュアルどおりのケアをするのと人間らしい気遣い思いやりを発揮するのとでは精神疲労全然違って成果だいたいおんなじなんだけど、それで時給 50 円上がったりするわけじゃないんだよね。人間じゃなきゃダメ?

…みたいな。最後らへん身も蓋もなくなったけど、うまく書き出せたかんじがしないなあ。ついでに余談だが、アルバイトじゃなくて社員になると、作業の種類が増えたり、あるいはもっと曖昧な「漠然とした業務みたいなものをどうにか形にする仕事」みたいな、つかみどころのない作業が増えてきて、そういうものをどうにかするためいろんなひとと遣り取りする現場では「ありがとう」という言葉は結構自然に出てくるし、言われてよかったと素直に思えるようなこともある。それは、そこが「ロボに徹するだけではダメな職場」だからってことになる。結局裁量(&責任)の問題とかになるのか。

あと、いまでも客としてコンビニ行ったときなど、バイトのひとにうっかり言ってしまいそうになる台詞がある。それは「ありがとう」とかではなく、「おつかれさまです」だ。たまたま現時点のロールが違うだけで、おれと彼らに大した差はない、というのは、おれがあんま社会に対して歳相応の責任感を持ててない証拠っていうか、裏打ちだな。

もうひとつ蛇足だが、「おつかれさまです」は基本的には目下のひとへの言葉なので礼儀にうるさい目上のひとには使わないほうがいい、けどまあ現代語としてはそこまで堅苦しく考える必要はあんまりない。コンビニバイト同士とかだと全然問題ないはず。