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倒錯社 Ustream 公開放送を見学

倒錯社即時局@池袋

前回(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080309#p1)から飛躍的な前進をみた公開放送となったが、明日はどっちだというかんじなので別に前にばかり進めばいいというものでもなさげだ。

  • だいぶ唐突に池袋南公園で公開 Ust をやるという話に。その場で決まってその場で実行というフットワークはさすがの Ust だ、けどついてこれるひと居るのか。
  • で開始時刻に行ったらやっぱり見学者おれ一人という状況。
  • でも最終的には六人になった(前回とはだいぶ違う面子)。ホモソーシャル
  • 全体の流れは、池袋南公園で夕方くらいまで Ust、二次会がてら近所の墓場に行ってダラダラ、三次会がてらサンシャインシティ行って階段とこでバーガーをモソモソ食う、というかんじで野外 OFF 会を満喫。
  • 前回会議スペース(地下)から公開放送しようとして失敗、という状況を考えると、今回いきなり野外公園で Ust にまがりなりにも成功というのは大きな前進。なんといっても EMOBILE 社の USB モデム& Eee PC という新規ガジェット追加による Ustream外配信だったわけなのでナード度が高い。Eee PC の実物はじめてみたけど、やっぱ「ノート PC!」ってかんじだったなー(あたりまえ)、画面が意外と小さいなー、おもしろいけどおれは要らんなー、とか思った(関連→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080304#p1)。
  • 放送は設定がなかなか決まらず苦労していたようだったが、映像配信をやめて音声のみにするとだいぶ安定したようだった。いろいろ不安定な環境だとなにがボトルネックになってるのか特定しづらい。
  • VS 公共性
    • 公園という空間はまさしくパブリックであるなあ話などが盛り上がった。というのも、倒錯社の Ustream 配信はだいぶプライベートなノリの放送であるから、公衆が行き交う場でプライベートな行為をやってるとどうしてもその背に公共性が押し寄せてくるからだ。
    • おれの場合は根っからの田舎者であるから公共性へのアンテナが過敏であり、まるで能力に制御が利かなくなったテレパスのような状態で日々苦労しているわけだが(ようは「過剰に空気を読もうとする」側)、そこいらへんで覚悟の決まった(=ある種気の狂った)ひとや都会人などは対公共性が強くてパフォーマンスへ踏み出すことができるんだよな。なんで田舎者が公共を過剰に意識するのかというと、田舎には匿名性がない、あるいは極めて低いという面と関係があるんじゃないかなと思っている。毎日同じような生活をしているぶんに、日常の各シーンで見かける顔はだいたい覚えのあるものであり、ちょっと調べればかなりの部分まで特定できる。都市に出れば実際に「さっきすれ違った顔と再び出会う機会はたぶんもうない」的な状況にも晒されることになるわけだが、気質として「この世に匿名性あるいはインスタント性なんてものはない」と刷り込まれているので、田舎的な処世術がなかなか抜けない。
    • このへん雑に空気読み問題に絡め始めるとややこしくなるので取り扱いがむずかしい。「過剰に空気を読もうとする」の態度に「空気操作への欲求」を加えるとまさにムラ的問題というやつになってしまうし、また都市においても空気読み能力は普通に培われるものだから、「空気を読めない痛いひと」と「パフォーマー」はだいぶ話が違うんだけど、判定基準をうまく切り分けることができなくて面倒くさい。とかなんとか。
    • 野外 Ustream 放送、という場として、ここはおもしろいなーと思ったのが二次会の墓地に向う途中で通った踏み切り近くのちょっと開けた場所。住宅地に囲まれていて、だだっ広く、人通りや車通りがほとんどなく、といって環境音はそこそこにあり、ようはなんというか「地上なのにビルの屋上みたいなかんじ」。おれが感銘を受けたオタ台詞のひとつに「高いビルの屋上に一人で居るとラノベの主人公みたいなことを考える」(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20061024#p1)てのがあるんだけど、ここでラジオやったらそういうかんじになるかもなー、と思った。池袋南公園は都市部もいいとこの、多様なひとたちが行き来する場所だから、そこでネットラジオをやるというのは「公共性の外圧に抵抗する」みたいなスタンスになるけど、これくらい「いろいろあるけどなにもない」みたいなところだと、逆に「外の密度が薄すぎるので自分の存在まで希薄になっていくかんじ、に抵抗するため内圧を制御する」みたいなスタンスになるんじゃないか。

自分が振った話題としては、ネットでたまに見る「既に終わったムーヴメントを後から知って没入する、まではいいんだけど、そこに留まって妙に使命感を燃やしてみたりする若者の、不可能性があらかじめ挟まってることによる安心感と渾然一体となった、知的全能感界隈への欲望とかがよじれたメンタリティ」問題とかがあるんだけど、あまり掘り下げることができないまま横に流れていってしまったかんじ。いずれまとめたい。