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最近のよしなしごと

麻布十番 | 080419

  • 「仕事のできるヤツであれ」「性的な人間であれ」という抑圧が個人を引き裂くのだとすれば、「性的であればあるほど仕事がデキる」というような仕事の手順を作らねばならない。…まあでも「出世街道を順調に歩くため適当な時期に結婚しておく」的な対応とかまさにそういう話だよな。べつに新しい話題ではない。
  • かっこいいことをしたやつがかっこいいってことになるのと、かっこいいやつがしたことがかっこいいことってことになるのはニワトリたまごか。
  • 入りづらいドアからは出ることもむずかしい。外の世界へ、入るときと同じだけの好奇心を持たなければならない。のだ。が。
  • 不安はどれだけ深まっても不安であり絶望とは異質だ。閾値を越えると違うものになってしまう、とかだとまだマシなのか。不安が不安として際限なく深まり続けてしまうのに耐えられないとき、すがろうとするのが絶望なのだとすれば、絶望もまた結構救いだ。
    • とはいえ、おれはもともとあまり不安を覚えるような性分でもない。たぶん男の子脳が自動的に感じた不安を「面倒くささ」として変換しているのだろうな。様々なことをめんどくさく感じる場面は多い。ドラマ IWGP で主人公の口癖が「めんどくせー」だったのは、だからおれにとって意味深かった。
  • 「共同体からこぼれおちたという感覚が社会全体の構想力や他者への寛容を生むのだ」いい言葉だと思うけどそれにはこころの強さが要りそう。実際には「共同体からつまはじかれたという感覚から、社会全体のオレ理論による再定義欲や他者への不寛容が生まれている」現場をポツポツ見かける。
  • 「確かにひとはそれぞれだが、この時この場はただひとつ!」は、「意見の食い違いがあってもそこでテーブルを去らずに対立者と合意を得るまで意見を戦わせる」という態度だが、「合意点がどうしても見出せない場合は一方が去る」という場面も往々にしてある。その後者であった場合を「ひとそれぞれ」勢は懸念する。多くの「ひとそれぞれ」発言は「=(なんでもいいから)そのまま居てくれ、立ち去るな」という意味だ。それが「対話によって新しい視点が導き出されることへの諦め」に見えて、議論勢には苛立たしいわけだ。