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最近の読書

狼と香辛料

まだ読んでないので読書じゃないんだけど、事前の心境整理。

以前から話には聞いていたがアニメ版放映開始がきっかけといっていいだろう、支倉凍砂狼と香辛料」の、ひとまず一巻を借りた。途中から途中までパラッと読んだかんじ、読めそうだ。田中ロミオ人類は衰退しました」に続くラノベ再入門課題として、今後読む予定でいる。なんでまたいろいろ迷った挙げ句に「狼と香辛料」だったのかという理由については、三年くらい前に書いた「TRPG ファンタジーにおいて異民俗を理解できてないうちには、異世界を設定するとしても最低限そこの住人たちには(遺憾ながら)パンでなく米を食わせるべきだ問題」(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20050127#p1)の背景となっている屈託が、結局のところ大きく絡んだ結果といってよい。べつにそれが今ラノベ再入門に絡む必然はないので、偶然といってもいいだろうが、そこは敢えて因縁と言いたい。絡んだ以上は無縁ではないので書き出してみると、ようするにー、なんだ、この経緯は、そう、ドラえもんあたりから手繰る必要があるかな。

ドラちゃんと一緒に物心をつければ、誰でもそれを基礎妄想材として使う。秘密道具知識を脳内参照しつつ、大長編ドラえもんを読んでは「そのピンチはこの道具でこう凌げばいいよ!」みたいな応用とか。自分が困ったときに「○○があればな」とか。そのへんが初歩。むずかしいのは、ひとつの秘密道具を形成する技術が存在してしまうことによって、世界や社会、またひとの心のありようがどれほど変わってしまうのか、というあたりだ。おれはただひとつの秘密道具を存在したことにする空想においてすら、いまだ納得のいくレベルで世界構築できたためしがない。秘密道具二つとか三つとかになってくるともう入り口でお手上げ。たとえばどこでもドアひとつで世の中がどう変わるかとか、誰でもやるだろう(関連?→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20030226#p2)。そこから先が SF における想像力なのだとおれは思っていて、かつまたドラえもんが SF でなくスコシフシギであるという F せんせいの話は、未分化ゆえに何を選ぶこともできる純朴な少年に、いずれ SF に至るかもしれない道筋を示唆するという役割において、ドラえもんを偉大な作品にしていると思っている。

で、そのへんからもってまわって、つまり、おれはかつて自分の想像力の追求において落第した、というわけだ。本当に想像するためには勉強が絶対に必要だが、おれはそれをあまり熱心にやらなかった。なぜかといえば面倒だった。我々は我々のファンタスティック世界の住人にパンを食わせることができなかった。気候風土、産業技術、食糧生産に対する適正人口や社会構成、年間スケジュール、土地毎の食材や料理、文化、風習など、実効力としての魔法がある世界において、という仮定のうえでの想像の以前、不思議さがない基礎状況、現実世界の社会の勉強をまず怠っていたので、「よくわかんないけどたぶん産業革命以降も続いてる封建君主国家はダウト」程度の、いわばダメ出しはできても「これならアリだ」という空想を作り上げる能力を持てなかった。

とはいえ、それはもともと無理難題でもあるのだ。「かなり説得力がある」以上のことはやらなくていい。ガンダム等がスーパーロボットとの対比としてリアルロボットと呼ばれる、という意味合いでの「リアル」程度でおそらくは十分という話だ。説得力というのは曖昧で、世間知らずの我々なら、実際多くは要求しなかったはずだ。つまりそれは、物心ついたときすでに世の中では仮想世界構築のやりこみがはじまっていて、それら先人たちのやりこみを前にしての、中二的なナイーヴさの裏返しとしての、(悪しき)完全主義を言い訳にした挫折だった。それを純化したまま抱え続けていれば、おれはたぶんひきこもりやニートになったのだろうが、純粋にもなりきれない中途半端さ、あるいは人間が生来持っているのであろう野蛮さやいい加減さが、ひきこもりやニートになるわけにもいかない環境とも合致して、いはゆるふつうのオタクになった。それは予言されてもいた。パンを食わせる想像力のなさに思い至ったとき咄嗟に準備した回避ルートが米だったことによってだ。キャラクタに米を食わせたところで、その世界が確かにあると納得するに足る十分な水準など充たしようがない。我々の住んでいた地域の近所にはわりあい田畑があったし、幼稚園だか小学校だったかで稲作や芋掘りの体験学習などをやり、「米食ってる人類圏」みたいなものへの想像を、ある程度実感できたというだけのことだ。同じ解決できないなら、せめて実感に逃げようとした、という話で。そこで逃げずに図書館にでも駆け込んでいればおれの人生は変わったのだろうかと、考えるほどにもいまのおれはナイーヴではない。それがゆえにそれを殺したというか。因業は巡り巡って厄介に出来ている。

ともあれ、そういったあんなこんなを踏まえて「狼と香辛料」に戻ってくると、本作に関する「一巻あたりはそのページ数のほとんどを商売の心得の解説に終始する」とかいった評判は、きわめて魅力的に感じられる。間違いなく、おれが挫折した地点よりはるか向こうまで行った側の人間による作品だ。ライトノベルで、ファンタジーで、神様が出てきたりするが、そこには表層や記号だけでない何らかの社会的内実が描かれ、そうすることによって架空世界を創出しようと試みられたのだろうと、期待することができる。想像を絶するような大傑作、ではたぶんないのだろう。ないのだろうが、不思議なものとそうでないものが混在する架空世界を描こうとする、その「とりあえずやってみよう」感の中に、ディテール追求のため本質を偽造しようとする意志はたぶんある。でなければ、たとえば「現代社会で異能者が暴れるんだけど一般人には秘密」とかにしとけばいいんだし。信仰と無関係に神が居るというならそれはファンタスティックな暴力で、信じようと信じまいとひとを巻き込み影響を及ぼす経済はリアルな暴力だ。このふたつを掛け合わせようと画策したような小説なら、眼を覆うような世界観的バイオレンス描写が展開されるのに違いない。

とかなんとか。