matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

すき焼き会 vol.2

ゲームブック

三連休だというのにひますぎて困っていたが、T がまたすき焼きをやるというのでお呼ばれした。ほかに若オタのひととかが居ていろいろしゃべっておもしろかった。わりあいまじめな話をけっこうしたんだけどそっちは日記に書くようなことでもないので、アレなほうの話を思い出した順にメモ。

  • TRPGゲームブックとリプレイの流れ
    • おれの体感なのでソースゼロだが、TRPG というものがあってこれがおもしろいのでブームを作ろう、という流れでルールブック出版とかゲームファンタジー系解説本とか出るわけだけども TRPG てセッションだから解説情報だけでは実際の空気感とかわからんので、そこでノリの伝達&おもしろそう感やこれならおれらにもできそう感を煽るための手段としてリプレイが活用された。この「キャラ名:台詞」による会話文体は、実質的に雑誌の対談記事的な様式の延長なんだけども、キャラクタ漫才ころがし的な意味で後にフェイス+文字三行ウィンドウで進行するエロゲー会話文体に、間接的な影響を与えているような気がしなくもないけど余談。というより TRPGエロゲーのあいだにはもうちょっと具体的に PBM 人脈とかが絡んだりするはずなので、うっかりしたことは書きづらい。
    • また 80 年代後半以降のファンタジーブームの基礎となった「みんなの頭の中にある、なんとなーくファンタジーっぽい世界観」の最大母体はファミコンCRPG ということになるかと思う。なんのかんのいいつつ D&D より先にドラクエだった、というひとは多いんではないか。
    • もちろんこれは単に年代や個別の経路の話なので、べつにそこが標準だといいたいわけではない。そんなものの前に Apple][ で wiz ですよというひとも居るだろうし。あとそのへんでいうとグループ SNE 界隈とかが活躍していた角川コンプティーク(最初のロードスリプレイて確かルールは D&Dディードリット山本弘氏じゃなかったっけ、清松みゆき氏だったかもしれん)らへんはファミコンゲーってよりパソコンゲーの影響があたりまえだけど強いという話になるので、ドラクエってより Ys というひとも多いかも。ミスリリアー!富士見ドラゴンマガジンはどうなのかよく知らん。あんまファミっ子臭はしなかったと思うけど。PC-Engine とか好きそう(偏見)。
    • テーブルトークでいうと黒田幸弘氏による「D&D がよくわかる本」が、普及期のリプレイ解説本として良書であったかと記憶している。リプレイ形式で読みやすく、ありがちなマスタリングやロールプレイ上の問題をフランクに解説していく。また黒田幸弘氏といえばゲームブックにおいても「鷹の探索」という良書を書いており、ヤスキンせんせいよりクロちゃんのほうがおれの中では格上だったりとかするんだけど世間の評判はよくわからん。
    • グループ SNE でいうとコンプティーク誌上でのロードス島戦記リプレイとドラゴンマガジン誌上でのソードワールドリプレイが有名だろう。ロードスは後に独自ルールを発表して出版したりする。リプレイで広報してルールブックやサプリメントや拡張キットを売る、というモデルになったのかどうかは知らんが、当時のノリとしてはそんなかんじだった。リプレイは TRPG 自体の普及に役立ったあと、「あのリプレイみたいなかんじのゲームが遊びたい」というふうにルールブックの売り上げにも貢献しただろうし、そしてまた次第に、独自の読み物としての洗練過程を経て、「リプレイを読むのがおもしろい」みたいな読者のためのものになっていったんではないかと推測する。
    • 初期のリプレイ記事ではルール解釈とか DM のマスタースクリーンの手の内話(「マスターは基本的に公正であるべきだがここぞという場面ではサイコロの目は多少いじってもおもしろけりゃ OK」とかそういう)とかが結構あったけど、徐々に TRPG コミュニティにおける問題みたいなものを取り上げたりしはじめて、さらにそこから、もうほとんど「○○というキャラクタを演じている、ではなく、○○たちの台詞で物語られる読みもの」みたいなものへ脱皮していった、というイメージ。そこには当然、TRPG プレイヤ層の質的変化が大きく関係しているのだが、おれはそのへんになると当時の現場の空気がよくわからんのでなんとも。
    • で、ゲームブックなんだけどこれが全体にどういう流れで食い込んでいたのかは今考えてみるとよくわからん。年表にしてみれば多少わかりそう。一応相互に絡みつつ補完しつつ融合とかはあまりしない、というかんじだったかと思う。同じようなパブリッシャ群が TRPGゲームブックや解説本など、ファンタジー系で似通った違う弾を撃ってたってかんじ。なにせゲームブックてシングルプレイなので、マルチプレイ前提の TRPG とは全然違う。それでいうとゲームブック後期にはカードゲームのような対面セッションを前提とするシリーズも出ていたかと記憶するが、あれはあんま続かなかったっけな名前忘れた(なんか王子が対決したりするような)。でもあの 1v1 の流れはトレーディングカードゲームとして成功しているわけなので、場の選択自体は間違っていなかったのだろうと思う、本とかマスタースクリーンみたいな重たい道具でなく、カード形式の手軽さと奥深さがブレイクをスルーしていっただけみたいな。実際テーブルトーク雑誌が MtG 雑誌になっていったりとかシーンとしてはそんなに違和感なく地続きだったような。
    • まあ対戦型ゲームブックでいうと近年クイーンズブレイドというシリーズがあって、対戦型ゲームブック的ななにかなんだけどどちらかといえばゲームってよりイラストにある美少女のエロさが人気とかいう、全然当時は想像されていなかったような異様な商売になっていて興味深いのだけど、でも結局本売ってフィギュア売って、みたいな流れって今風なようでいて全然むかしと変わってはいないわけなのだった、まあフィギュアの種類がクリーチャーからギャルになり、ダイスの種類が減ったりとかしているだけの話であって。
    • クイーンズブレイドでいうとギャルフィギュアがバンバン繁盛していいかんじなのかなーという流れで脱線すると、フィギュアの世界てやっぱ肉感が大事というか、なんかムチムチしたかんじのキャラとかが人気で、エロゲーとかテキストサイトとか個人ニュースサイトとかそういうキーワードで大雑把に括ってしまえるオタインターネット界隈とはちょっと違った様相で興味深いという話もある。なんかネットのオタて全般的にロリ好きなんだけどフィギュアオタの方面にくるとロリなんて全然売れなくてムチムチがバンバンなんだよねという。でもそれがあんまネットで話題として共有されない印象。なんだろな、ムチムチ好きなひとってネットにおいては「黙って買う」みたいなサイレントマジョリティで、ロリ好きのひとって「騒いで買う」みたいなラウドマイノリティなんじゃないだろうかとか。あとロリ好きが単に商品を消費するだけでなくいろいろ語りたがる傾向は、今も昔(80 年代 SF 界隈とか)も同じなのかとか思った。
    • 脱線したのでゲームブックの話に戻すと、あれだなー受容のされかたとしての話でいえば、「ゲームブックゲームブックとしてのおもしろさを追求する」以外に「TRPG はおもしろそうだけどメンツが集まらないまたは敷居が高いので、とりあえずゲームブック」とか「ファミコンとか MSX のブームだったのでゲーム遊びたいんだけどゲームは一日一時間の時代だったり親が厳しいとビデオゲーム遊ばせてもらえないしゲームは単価が高いので、ゲームブック」みたいな部分があったよなと思う。語弊込みで適当にいえばゲームブックガチ勢は大雑把に創元推理文庫系、TRPG やファンタジー全般へのリンクは社会思想社系、ファミコン代替は双葉系、とかになるかもしれない。ちなみにおれが最初に買ったのは火吹き山、といいたいところだが違って JH ブレナン氏のピップシリーズの第三作あたり、「魔界の地下迷宮」だった。14 へ行け。
    • I リヴィングストン氏や S ジャクソン氏、前述の JH ブレナン氏などが著名だが国産ゲームブックで金字塔といえばやはり林友彦氏のネバーランド三部作&ウルフヘッド二部作、鈴木直人氏のドルアーガ三部作&パンタクルシリーズは避けて通れまいがこのへん挙げだすときりがないので避ける。あとフタバは小学生を意識したファミコン RPGゲームブック化が強かったのでゲームブック版のドラクエゼルダを遊んだひとは多いかもしれない。
    • 六面ダイスすら入手が容易でなかった時代なので、ランダム性確保材として六角えんぴつやページランダムアクセスでの代替サイコロなどいろいろあったが、そのへんでバトルポイントシステムはなかなかいいアイディアになっていたかと思う(ここで必ずこれ以上の点数が要求されるから…、というリプレイ攻略性)。冒険記録用紙のイメージの堅さ問題とか。体力点技術点はいいとして運点ってのは語呂がなーとか、点だとダサいのでポイント表記になってると嬉しかったりとかした。枝葉の話になってきたな。

…いやこんな話はそれほど長くなかったっていうか、ほかにもいろいろしゃべったんだけど、なんか「一日分の日記分量としてはこれで十分以上だろ」とおれの両親指が告げているので(EM ONE で書く日記は文章のすべてが親指始動なのだ)、このへんで切ってつづきは翌日の日記に回す。