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最近の読書

最近はライト寄りの歴史だの戦記ものだの読んでおり、だいぶラノベに近い位置を遡上している気分に浸っているのだが、どうもおれの中でいうラノベ像に対して、なにか足りないものがあるなーというのが気になっているときに、本屋で阿佐田哲也麻雀放浪記」の文庫版が眼に止まったので、立ち読みしてみた。

もはやお忘れであろう。或いは、ごくありきたりの常識としてしかご存知ない方も多かろう。が、試みに東京の舗装道路を、どこといわず掘ってみれば、確実に、ドス黒い焼土がすぐさま現れてくる筈である。

のっけから「もはやお忘れであろう」である。やっぱこれだわーと引き込まれて買った。で一巻は一息に読み終わってしまった。二巻が置いてなかったので注文した。なんだろうか、調子で読ませるかんじが最近足りていなかったようだ。麻雀放浪記は、文章もそうだが台詞の調子が特にいい。なんで調子がいいのかというと、それは当時の調子の良い言語のライブ感をそのまま小説に使っているからだろう。北方水滸伝とかだと、物語の躍動感とかはあるんだけど台詞が平坦なのでそこいらへんが食い足りないかんじだった。宋代の中国語のしゃべりを日本語で調子よく書くことには、原理的な無理があるからな。

とにかくにも、この第一章「チンチロ部落」の文の調子は特に素晴らしいので、後半部分を引用する。

突き当たりの一劃で立ち止まり、戸口代わりの筵をはねのけて中へ身体を突込むと、男は目に笑みをのぼらせた。
「やっと来たぞ。ずいぶん探したんだ。皆さん、お初さんで」
 中で円座を作っていた五、六人が、いっせいに顔を向けた。
「小面倒な仁義は抜きにいたしやす――」男はそれでも古風にいった。「あっしは樋口虎吉、上州虎てえケチな男でござんす。どちらさんもご昵懇に願えます」
 円座の一人が答えた。「名前なんかいいや。用事は何だい」
「お仲間に加えてもらいてえ。へえ、ひとつ張らしてもらいてえんで」
「ああ、それじゃ場所が違ってるよ。ここはほんの仲間の遊びなんだ。他を探しな」
 だが、上州虎は動じなかった。どころかなおのこと二、三歩足をふみこんだ。
「博打の主(ぬし)のような人が集まって昼も夜も打ちまくってる所(シキ)が、上野のどこかにあるってきいて、一度そこで打たしてもらうのが夢だったんでさ。嘘じゃねえ。強盗(たたき)、空巣(のび)、かっぱらい、あっしにできることは皆やって金を貯めて、ようやくここまできたんだ。帰れるもんかい」
「くどいな。仲間の遊びだといったろう。放り出すぜ」
 上州虎はちょっと黙った。それから、ダランとさがったシャツの右腕をポンと叩いて哀願するようにこういった。
「あっしゃ、これだ。博打しか楽しみがねえんだ。殺生なことをいわずに張らしておくんなさい」
 年嵩の一人が、ポツンといった。
「現金(おしん)を見せな。ひやかしはご免だぜ」
 上州虎が左腕をズボンの中へ突込んでかなり分厚な十円札をとりだした。すると、円座がすこしずつずって席をあけた。どういうわけか博打打ちという奴は、昔も今も片端者に甘いようである。
「おや、こいつァ何だい」
 勇躍して座についた上州虎が、円座の中央の丼と三個のサイコロを見て呟いた。
「なんだとは、なんだい」
「あっしゃ又、バッタ巻きか丁半だと思ったんだが」
「チンチロリンさ。新時代だぜ。古い奴とはお別れだ。だいいち、フダや丁半はイカサマが多くていけねえ」
「それさ――」と他の一人も続けた。
「こいつは胴が廻りもちなんだ。どうだ、民主主義だろう。俺っちだって生まれ変わったのさ」

口語をそのまま文章にしているので、そのままキャラクタの台詞が耳に聞こえてくるようである。「どうだ、民主主義だろう」は好きな言葉で、いずれどこかで使ってみたいのだがー、いまどき民主主義はありふれているのでなかなかその機会がない。置き換えをすればいけそうだ。ものっそい手作りな web サイトなんだけど RSS 吐いてて「どうだ、web 2.0 だろう。俺っちだって生まれ変わったのさ」と、こうやるかんじだな。