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こどものじかん

こどものじかん

そろそろ読むかと手を出してみたが、これはむずかしいな。素直に楽しめん。ていうか楽しくない漫画だ。べつに不快という意味ではないが、面倒くさいあたりのことが描いてある。萌えとかなんとかガチガチに武装して無神経に突破していかないことには前線までたどり着けそうもないが、それをやりたいかんじでもない。なるほどねー、ガンガル社会福祉を語っていた界隈のひとたちは、このフレームでいった場合にはメタじゃなくていっそベタベタだったわけだ、とか納得する部分もあった。それでもなんとかなっちゃうあたりはさすがに知性と教養というやつなのだろうが。おれはそのへん裏打ちがないから踏み込むとやばそうだ。

四巻だけ読んで前が知りたくなったので一巻から読み直し。なんかインモラル方面のアレなのかと思っていたが(きづきあきらモン・スール」とかあれ系の)、そうでもない。わりあい健全だし突飛でもない。といって不健全がないわけでもない。同居している。各女児キャラの家庭環境はそれぞれに複雑だったりもするが、このへん歳食ってくると「普通の家庭というのはそれぞれに特殊なものだ」という感覚が馴染んでくるので、これくらいはどうというほどのことでもない。逆におれが物心つく前あたりまではあったのだと思われる「これが普通の家庭」的なモデルの不気味さってなんなのだと思えたりもするが余談。

おもしろポイントは子供側の小学力と教師側の大人力のギャップ、というか小学生は本質的に小学生だから(基本的に子供は最初から子供のプロである)小学力を完全に行使するけど大人には本質的に大人というわけではない部分があるので(大人は最初からは大人のプロではない)ベクトル拮抗はなかなかむずかしい、といったアレとか、さらには子供にも子供でいるわけにもいかなかった事情とかでプロの子供に徹することができるか否か的な、子供側の子供ロールの困難とか、なんとか。そして小学生の小学生であるがゆえの結果を求める性急さあたりとか。そうそうこんなかんじかもねー、という。

子供はすぐに結果を求め、その速度への意志がコントラストの極端さとして反映され、大人はそれに付き合っていられない。過去を持たず、未来は遠すぎるし、毎日が永遠のようで、エネルギーは溢れているけど発散するばかり、逸る気持ちと忍耐力のなさ、日常の変わらなさと変化の緩慢さ、緩慢なのに元に戻ってはくれない融通のきかなさ、などなど、全能感を引き剥がされていく苛立ちや、無力感から沸き上がってくる本能的な活力。まあなんだ、むずかしい。漫画の感想は機会があればもう一回読んで書こう。

どうでもいい部分でいうと、幼女三人組のネーミングが、メインキャラの「九重りん」は音韻重視かなーで、絡みキャラの「鏡黒」はバックグラウンドとリンクしたかんじかなー、ときて、いじられキャラで三人目の「宇佐美々」がうさみみ…て駄洒落かよ、というあたりの処理の仕方がちょっとおもしろかった。わりと重大そうな背景設定がそれなりにあるのに物語的な処理がわりとおざなりな気弱巨乳担当キャラつながりで「涼宮ハルヒの憂鬱」における朝比奈みくるとかにも通じるかんじだろうか。