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文化生活やりこみ問題

最大行動距離を近所のコンビニに見積もった格好で駅前まで出るのと、最大行動距離を遠くの街に見積もった格好で近所のコンビニに立ち寄るのとでは、やはり気分が違う。十分である、あるいは心許ない、という感覚によって判定可能だ。単に薄着すぎて外に長居するには肌寒い、というあたりの判定は機能の話であってオタ的だが、それが道行くひとと比べ相対的に無防備であるというあたりの気分にまで至れば、ファッション感覚の話に到達する。このことから、ファッションとは武装であるのかという筋が導けるが、そこまで行くのはやりすぎで、たぶん「装備」くらいの話だろう。ハイキングとか登山とか。河原沿いの整備された遊歩道程度なら T シャツにサンダル履きでいいけど山の不整地歩くならそれなりにしっかりした靴履いて、虫刺されも面倒だから長袖とかにして、水や食い物に地図、杖や寝袋…とかまでいくとほんと重装だな、みたいなかんじ。おしゃれな街に行くのならそれはそれなりの装備で挑まねば東洋的な意味において恥をかく、または西洋的な意味において不名誉である、あるいは東洋的な意味において失礼にあたる、または西洋的な意味において反社会的である、みたいな応用。

これと近いがちょっと違う問題として、「電車の中で○○ができるか」問題とかもある。電車の中で PSP を遊べるか、NDS なら OK なのか、果たして新しめの iPod はオシャレなのか痛いのか、というかそんなものはファッションでなく機能性と作業スペースの問題なのか、はたまたラノベをブックカバーなしで広げられるか、ブックカバーありの場合も挿絵は隣のひとなどに露出するが問題ないか、などなど。これら結局オタはその因業に準じて段階的に気にしないってだけの話なのだが、しかしそれらを単に考慮しないのと、考慮したうえで無視するのとではまた違う。ゲーオタ的にいうと、ファッションは社会的に提供されているやりこみ要素のひとつだから、一応それらがどのようなものであるかを把握したうえでやっぱり無視するというのが、心得のある上等なオタの態度といえるだろう。まあなにかに興味を持ち調べて知っていくうえで関係性やその文脈に依拠する自我が形成され、無視できなくなってゆくという話もあるが、それならそれでそのゲームルールが気に入ったというだけの話に落ちる。問題になるとすれば根っこと枝葉を同じスケールで判断できているかどうかなどの一貫性だが(オタの論理は一般的に「プライオリティが完璧に守られていること」をなにより尊重する傾向がある。アニメ「おねがいティーチャー」のヒロインの口癖「最優先事項よ」の乱発は、たぶんそのへんに由来したメタギャグだ)、そこにもまあ理屈どおりにはなかなかうまいこといかない「現実的な妥協」というやつが絡んでくる。ことほどさように世の中は一筋縄ではいかない。

とか指走って書いてきたのだがもう最初になに書こうとしたのか忘れたのでこのへんでやめ。有限リソースの運用として、どういうやりこみが場に存在し、どれをやりこむためにどのやりこみは無視するのかとか、そういった検討と判断はオタとしての人生の強化や検証に使える、というかある時期から人間には規模の大小はあれ経営という考え方が芽生えてくるので、その界面にのっけてゆくためにこのてのバックグラウンドタスクは都合がよい、という話だった気がする。デスクトップ PC →ノート PC → EM ONE と、どんどん見渡しが悪く入力速度の落ちるメディアに日記が落ちてきているので、ものの考え方も短期記憶も近視眼的に落ち込んでいくかんじだな。ケータイ小説とかマジで三行ルールみたいな世界なのだろうし(一画面に収められる状況がすべてで、前後のつながりは歌謡曲における歌詞程度にしか意識されないみたいな)、さすがにこの先にいくにはかなりの脳改造が必要そうだっていうか、現状にもまだ追いついてない。