最近のアニメ
グレンラガンがおもしろくなってきた。とはいえしかし、このように収束してきたからおもしろく感じられてしまう、ということ自体にはなにか苛立ちのようなものを感じた。つまり、疲れて柔軟性を失って、それが安さに結実してしまっているなーおれの感受性は、ということだ。なにかみたこともないものを見て感動したいという欲望が、果たされずにいることはどうでもよくて、見たこともなさでいえば、新しいものはすべて感動できる可能性を含んでいるのだから、新しさで押してきてほしかったという感傷に近いものを、見苦しさとして自覚せずにはおれないという、これはつまり、エヴァンゲリオン云々で十年間の紆余曲折を整理しつつある人々とは個別にある、おれの中の「GAINAX 社作品とおれ」問題なのかもしれない。ちょっと言語化むずかしい。事実グレンラガンには、なにか新しいものを感じていて、そこに感応している部分があるし。ただ、その新しさを抑圧する第三部という展開に(いや実際にはそうでもないと思いつつ)、苛立っていたのかもしれない。
「ぽてまよ」の女子三人組の小芝居について「新キャラ」とか書いてたけど(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070818#p1)、違ったわこいつら主人公のクラスメイトだった。全然きづいてなかった。まさに脇役。おれは脇役を脇役として認知しないフィルタリング性能が高すぎる。あとぽてまよはメインキャラの大半がマイナーな性的欲求を抱えているアニメなのでまじめに考えるとじわじわ来るはずなのだが、延々見てても特にそうならないな。基準や規範らしきものの不在がうまいこと作用しているのかもしれない。
プリキュアだが、ピンク色がリア充しててちょっと驚いた。プリキュアで得た経験とコネを活かして仕事がうまく回るよう調整する能力…ってそれ普通に組織の中で必要とされるやつじゃんという。おまえはやくも「プリキュアになりたい以外の欲望がない可哀相な子」ってだけじゃなくなっちゃってるんですね的な。そこいらへんのピンク色の葛藤については WAFL 氏が詳しく書いていた(→http://d.hatena.ne.jp/WAFL/20070802/p1)。しかしまあ活かせるコネが結局プリキュアという小さなサークル活動の範囲に留まっているというあたりがまだアレなわけか。あれだけ活発で前向きに見えるピンクの性格なのにプリキュアのメンバー以外の友達が居ないという状況から考えると、結局持っているポテンシャルをナイーヴさがスポイルしているのでプリキュア内部のような限定された場でしかそれを発揮できていないというのが、ピンク色の問題だと思える。プリキュアという活動を通じて、全然関係のない他人ともプリキュアのような関係を構築して互いの立場を調整できるようになれば、彼女もプリキュア卒業ってかんじなのかもしれない。プリキュア活動は、そのためのカウンセリングというわけか。