matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

ストレスレスレッスルエンジェルストレスレスレ(略)

不毛の部類に入るネット議論に関与するひとの中には「最後に発言したやつの勝ち」という脳内勝利条件が設定されてあるひとが居て、つまるところ「最後の発言=突っ込みやカニバサミや反論や混ぜっ返しを受けない=誰もが受け容れた意見」というような錯覚を重視しているのだろうなーというあたりの話だが(もちろん議論を勝敗ベースでやってしまうこと自体への問題意識の話などもあるべきだろうが)、なんかこの状況には、閉鎖的なコミュニティにおける「自分の発言にレスがついたらそれに反応を返さないといけない気がする」の心理に似ている部分があるような気がした。善意というか、そのひとの善良さがゆえにグダグダになってしまう類の議論(おれは善良さは必ずしも善行を生まないと思っていて、そのうえでその心理は、やはり善良さと呼ぶべきだと思っている)。

あとは、数当てゲーム問題か(数当てゲームというのはこういうやつ→http://f38.aaa.livedoor.jp/~norden/)。ある主張を書いたあと、それを相手がどう理解したのかというレスポンスが来る。それが(自分の主張が他者にどう理解されるか、という想定と)どの程度合っていたか、という検算の結果と、相手の反応自体への感想を織り交ぜてレスポンスを送る。すると相手も同様に「自分が相手に返した反応が、相手にどのように理解されたか」の検算結果を返す。誤差修正していって合意を得るまでのゲームであり、そのようにゲームを進行させるべきであるという信頼関係が築けていれば、相互にエラーを訂正して理解を深めて、いずれ正解に行き着いて議論が収束するはずだ、が、なかなかそういうふうにはいかない。「それがどういう主張か」「その主張は正当なものかどうか」「なぜそれが主張されたのか」など、注目できるポイントはいくらでもあり、単なる〇×ではなかなか判定できないし、そもそも口論の性質は、やればやるほど相手との信頼関係を強化するだけでなく、逆に働いてしまうこともままあり、信頼関係が崩れれば(あるいは最初から相手を信頼していない(疑わしい相手ばかりでなく、見知らぬ他人である場合なども含まれる)同士では)数当てゲームは成立しづらい。

面倒くさいことを避けたければ、相手からの反応の種類如何にかかわらず、有限数当てゲームに徹する、という作法もあるかと思った。有限というのは、一件について、それが解決(合意に達する)するしないに関わらず、こちらから返すエラー訂正の回数をあらかじめ何回と決めておく、というもの。コミュニケーション全般の話でいえば、エラー訂正に徹するというだけでも相当退却した作法だと思うので(ゲームをあそぶだけでなく、新たに問題を作ることもまた人間関係を深めていくうえで必要なことだと思っている)、あんまアレだけど。