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平成ガメラ三部作一気鑑賞

ガメラ

こないだの OFF 会で「前田愛汁」というなつかしいオタ語をきいて、そうだなーひさびさにガメラ 3 でも見るかと思ったが、どうせ 3 見るなら 1 と 2 も見ないとおもしろくないなと思ったので、週末に順番に見た。おもしろかった。やっぱガメラはいいなー。

  • 特撮のレベル(というか規模?)は 1 → 2 → 3 と順当に上がる。特撮面では予算が上がっていることもあるが、SFX 面ではガメラの制作期間内数年における、まさに発展途上にあった当時の国内映画向け CG 技術水準の向上もあるだろう。3 の大規模破壊シーンとか、いまでも視聴に耐えるかんじするなあ。
  • オタが見ておもしろい順番は、2 → 1 → 3 だと思う。感覚としては、1 は「平成に怪獣復活」、2 は「今度は戦争だ!」、3 は「風呂敷広げつつ原点に戻ってみました、あとオカルト」ってかんじか。でまあオタは「今度は戦争だ!」とかそういうの好きだから…。
  • 2 で海外(アメリカ?)ニュースがガメラ報道をしているカットがあったけど、「アメリカのニュース番組は、あんな背景がいかにも報道センターでございますっていうようなかんじにはしない」という指摘があって、なるほどと思った。ガイジンキャスターが喋ってるけど番組の作り方は日本のものだ。
  • 2 見ているとエヴァンゲリオンのことを連想する。同時期でスタッフもオタ人文地理的にかなり近いんだから当然だけど。
    • 序盤の「なにが起きているのかよくわからないかんじ」は、もちろん 1 が一番良い。中盤以降の「状況の把握→対策→状況の拡大→対策→繰り返し」がおもしろいのが 2 で、たぶんこのへんの経過を描きすぎると SF ぽかったりオタ向けだったりするんだと思う(そしてその部分のシーケンシャル感がエヴァンゲリオンと近い)。おれゴジラでいうと vs ビオランテとか好きだしな。それについてはたぶん「自衛隊がわりと役に立つ怪獣映画」という共通点がキーになっている。遭遇があって、分析があって、対策がある。その対策の部分が有効でないなら、分析の意味がない。だから、実働部隊がまったく無力に描かれると、せっかくのシーケンスが空しくなってしまうというわけだなたぶん。
    • とはいえ、べつに怪獣を倒すほど強くなくてもいい。わざわざ怪獣が出てくるような映画において、怪獣はなにかもうどうしようもないものとして描かれるべきものだからだ。台風相手に大砲とかミサイルとか撃って勝てるかっていうと、それは違うだろうというようなかんじ。まあちょっと進路を逸らしたとか、結局倒せなかったけど守るべきものは守られたとか、そういったかんじに活躍していればいいと思う。平成ガメラは世界の守護者的存在だが、まあ軍隊は国家を守っていればいいわけで、活動範囲や目標設定が全然違うわけだしな。
  • 残虐表現でいうと、1 のギャオスの「人を食う怪獣」という表現はすばらしかった。そりゃ食われるかもしれないなら怖いわという。ただしその表現は間接的なものに留まり、流血や、直接「食われているのが見える絵」とかはない。2 の敵のレギオンは特に人間を襲おうとしているわけではなく、条件が揃うと結果的に人間を襲うこともある程度だが、地下鉄ではブシャーと血のりが窓に飛び散るショッキングシーンがあった。そして 3 では敵方の怪獣だけでなくガメラ側もガンガン人類を殺す。まあ殺したくて殺してるってよりは「敵と戦ってるうちに気がついたら小さいのが巻き込まれて死んでる」ってかんじだが、その様相にはけっこうなインパクトがある。
  • いま見ると、2 の「漠然とした希望や信頼みたいなものと直結している巨大な暴力」という構図が無邪気だ。そこに対して取られるべき自衛隊(全面協力)の慎重な態度は、ある意味当然と思える。
  • 3 はあんま好きじゃないんだけど、けっこう勿体無いかんじにも見えた。構図や要素の多さに対して時間が足りないかんじがするというか。3 だけで二部作か三部作くらいにしていたらちょうどいいくらいの密度なんじゃないか。
  • 3 の朝倉や倉田のくだりなどはネオランガを連想する。開発中のシミュレータがドリキャス版なのは泣ける。それでいうと 2 の「ISDN 回線、修復できません!」も泣けるー。
  • 1 と 2 の特撮は、3 と比べるとかなり見劣りするんだけど、なんだろなー SFX とかと違って「それが現実と見分けがつかないからすごい」みたいなのとはちょっと違った基準があるんだよな特撮。これはつまりシミュレーションゲームの場合だとより現実に近い精度のシミュレータが出ればそれに劣るシミュレータが単に旧式化するけど、べつに現実をシミュレーションしているわけではないゲームの場合新作が出てもそれが必ず旧作に勝るわけではない、みたいなのに近いか。自体芸能としての側面を持っていて、ただ現実を擬しているというだけの方法論ではないというか。
    • ミニチュアのビルが壊れるのとか、相当いい具合にやってあるけどやっぱりそれでも「ああミニチュアだな」とはわかる、けどそれがどうも見立てになっている気がするので、感覚できるリアリティ以外のものを、それはそれとして楽しめているようなところがあるかな。細工物がぶっこわれるのを見て楽しむ感とか。そういうものがありながら、べつにそれをリアルではないものとして楽しんでいるわけではない。

なんかもうちょっといろいろあるような気がするけどここまで。思い出したら別途書く。