matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

機動戦艦ナデシコがおもしろすぎる

やー怒涛の勢いで見ている。いや怒涛の勢いではない。何回か繰り返して同じエピソードを見たり、ちょっと戻って見直したりしているからな。ペースは遅い。ただ充実している。しあわせだ。オタクでよかった。ナデシコがおもしろくてよかった。今が 2006 年でよかった。もうなんか 2 クール目に突入してからこっちエピソードが神懸かっているように思えてならない。なんたる完成度、より正確には未完成に裏打ちされた完成度か。いやちがう。みずみずしさや多様な才能などもありつつ、極めてベタな様式にぎこちなくガチャガチャとしながら沿っているこのナデシコの展開は、つまりそれ自体がある種の様式としておれに受容されているというだけのことであり、そこにあるのはあくまでもアニオタとしての 90 年代アニメの鑑賞パターンであり、つまり神などではない。しかしおもしろい。いやそれも違って、確かにおもしろいとは思うが、おれはそこに正確なスケールを当てることができていない。標準的なセンスではない。ようするにおれはナデシコというアニメが好きなのだろう。いまここで好きなもののおもしろさを客観的に判定する危険は冒すまい。結局この「おもしろい / つまらない」と「好き / 嫌い」は血管とリンパ管のように同じく全身を巡るネットワークでありながら決して交じり合うことがない。おもしろいから好きになるのであり、また好きだからおもしろく感じるわけだが、それを同一視、あるいは同一化しようと試みるのには思慮の欠落あるいはオタとしてのなんらかのウェイトを投げ打つ覚悟が必要だ。ある程度の経験を積まないとそのことが体感として染みてこない。好きだけどつまらないとか、おもしろいんだけど嫌いとか、そういったものも当然世の中にはある。そういったものへの接点を諦めないのもまたオタクのとるべき態度だということも学ぶ。好きなだけのものやおもしろいだけのものの虚しさは、しかし同時に宇宙的な興奮でもあることを知る。いずれ好きなもののおもしろさを外部化できたいとも願うが、そこにはいまだ至らない。むずかしいものだ。何の話だったか。

ナデシコは、これは当分の鑑賞活動化していくべきソースだな。シリーズとおしてあと二回は見よう。感想日記とかも書くか。そうしよう。